いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アートのインスピレーションはスピリチュアル系の直感に敵わないのか。

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札幌で滞在制作が始まった。札幌南区にある湧き水の神社の整備をアート的に仕上げるプロジェクト。ぼくらの活動はほとんどアートの外にある。アート外の活動をアートの枠組みに環流させていく。アートとはそういうものではないだろうか。インスピレーションの原点は絵を描くことでも彫刻をすることでもない。結果的に絵や彫刻として表現されたとしても表現の源泉はアートの外にある。

自分から湧き出る表現。それをできる場所も機会も限定される。もちろん絵を描いたりコラージュやオブジェを制作もしてきた。しかし土地に由来する表現の強度には及ばない。

例えばこの神社。札幌市の端っこにあってパワースポットとしても多少知られている。それだけに霊能力がある人が訪れて、ここはよい気が流れている、ここは悪い、と評価していく。だからなかなか手強い。ここには龍がいるという。

昨日からの作業は、鬱蒼と薮になった箇所を草刈りした。そこは以前、能力者に気が悪いと言われた場所だった。けれどもぼくはそれ自体変えることができると信じている。それがアートだと。

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散らかった草を1箇所に集めた。問題は色なのだと思う。地面の茶色、刈った草の緑色。それらを混沌とさせるのではなく、整理して配置すれば視覚的に整う。絵を描くように目の前の景色をつくるのである。

散らかった草を取り除くと地面のカタチが露わになる。湧き水の水源からの流れが分かる。草や土や木、石を取り除くと流れが目に見えてくる。水の流れと共に空気が流れていく。目に見える景色が整理されて、流れが変われば、霊能力者はどう評価するのか。

午後に霊能力を持った人が来るから一緒に辺りを周りましょう、と誘ってくれた。いくつかのポイントを周り、ついに草刈りした場所に来た。前回別の能力者はそこに悪い気が流れていると言った。今回は。

今回はなんとここの気が一番強くエネルギーに溢れている、と言った。現実を変えるチカラ。ぼくのアートはそうありたい。

ここの気が良くなったらこの境界に門を作りたいと考えていた。それがぼくたちの作品になる。しかし能力者は門はつくらない方がいい、と言った。しかしだ。ぼくたちは、この場所について3年間イメージしてきた。妻は弱気になっている。門はやめた方がいいみたい、と言う。

しかし、しかしだ。前回は悪かった場所を良くできたのだから。3年間計画してきた自分が必要だと思う、ぼくはその自分の勘を信じる。だから、なるほど、門はやめましょう、と言った。そして、柵にしましょう、と言い換えた。それならいいと思います、と能力者は言った。ぼくの頭にイメージされているものは同じ。なぜなら、それがぼくたちの作品だから。アート作品は霊でもパワーでもない。それがそこに必要という必然が偶然に起きるから制作される。とくにアートの制度の外でそれが起きるときは。

ぼくの表現の根底には良い悪いや価値あるなし、といった既存の評価を覆したい願望がある。アートにはそれらを転覆するチカラがある、と信じている。だから、それを最大限に発揮させてみたい。

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いやいや、しかし、なんだかとんでもないロケーションで滞在制作をしている。今回何かを作ることができるのか。