いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

変態性を解放するディテール

していることの意味を確かめたくてコトバにする。今朝は桃源郷の看板をつけた。看板をつけたことで、何もない限界集落だった地域は桃源郷になった。空想のランドスケープが現実にインストールされ誰の目にも映るようになった。妄想は現実化する。

バリ島に暮らす同級生のツトムから「おはよう」とメッセージが来てLINEで話した。バリ島と通話料なしで動画で会話できる。これだって10年前には未来のテクノロジーだった。

サーフィンと戦争の話をした。戦争を欲する奴らがいて、現代社会の経済活動の一環になっている。それは産業だ。つまり兵器を消費しなければならない。世界中に紛争地域があって、その火種を育てる奴らがいる。ウクライナとロシアが戦争をしている。ほんとうに戦争をこの世界から無くしたいなら兵器の生産をしなければいい、という国際社会にはならない。むしろ平和や反戦と声を上げると、何も考えてない平和主義者みたいな扱いをされる。理想も語れない。つまり今起きている戦争は想定内。という話をした。それをすっかり飲み込めてしまう現状が恐ろしい。戦争はなくす方向でイメージしていきたい。妄想だとしても。

5月に愛知のグループ展に出すインスタレーションを制作している。木と土器でつくった女神像と炭窯の模型と、いくつかの絵とオブジェで構成されるモニュメントになる予定。先週はタイトルの締め切りでチフミと相談して"女神は言った「いつもしていること。それが幸せであるように」"というタイトルにした。いつもは売ることを前提につくるけれど、美術館でのグループ展示だから販売はなくて、おかげで売れないモノをつくっている。それはそれで目的が明確になっていい。

週末は、里山を再生している桃源郷を撮影してくれている友人が来た。夕方に近所の人たちも集まって久しぶりにBBQをした。88歳のあっちゃんは、ルリという鳥がもうすぐ見れると教えてくれた。若いときは小鳥を獲ったらしい。教えてほしいけど違法なのかな。アトリエのお隣の小林さんは、荒地を池にしてニジマスを養殖したいと話してくれた。釣り堀にできるとか。荒地がひとつ減って楽しみが増えるなんて素晴らしい。ここ桃源郷現代社会からすれば、限界集落の土地に価値もない終わりつつある地域なのだけれど、だからこそ土地への欲や執着が消えて、ユートピアになりつつある。見える人にはユートピアに見えるし、見えない人には何もない限界集落だ。価値とはすべてそういうことだ。

日曜日の朝は「いはらい(江払い)」で水路の掃除をした。地域の人たちが顔を合わせて一緒に作業する。こんな日は年に一回しかないから貴重な時間。溜まった落ち葉を掻き出すと、それは堆肥にも使える。自分はやることが多すぎて畑はやってないから、手を出さないけれど。いつかやりたい。

「いはらい」のあとは、桃源郷を撮影に来たメンバーと、たらの芽を探しに行った。川向こうの山に行ってみたくて、石を踏んで川を越えて未開拓地に入った。まだ春の暴れてない草木を掻き分け入っていくと道があった。木を切り出したときに作った道だろう。そこを歩きながらたらの芽を採取した。たらの芽に似ている芽があって調べたら、ウルシの木だった。ウルシの木は厄介だと思っていたけれど、身の回りのモノを駆使して制作するなら、天然接着剤のウルシにも利用価値がある。もしかしてこの地域にウルシの木もあるかもとここ数ヶ月探していたけれど、意外なところから発見できた。

考えてみれば、類似から派生して知識は広がっていく。インターネットの検索がなかった頃は、影響関係を辿ったり、時代やジャンルから興味を広げていった。例えばパンクロック熱は、ピストルズやクラッシュをきっかけにイギリスのDIYバンドCRASSを知り、その表紙を手掛けるジー・ヴアウチャーのコラージュに遭遇した。彼女が手掛けたTackheadの顔を覆う自由の女神は傑作だ。今やっているバンドNOINONEも個人的にはCRASSを参考にしている。

10代20代は音楽に夢中で、未だ知らないサウンドを求めて、やがてジョンケージの4:33に遭遇して衝撃を受けた。無音も音楽だという。その発想は、マルセルデュシャンの便器と鈴木大拙の禅から生まれたことを知った。なるほど便器が芸術であるなら無音も音楽だと。おかげで、それなら生活を芸術にしよう、とぼくは発想している。デュシャンが作家レーモン・ルーセルに触れていて、文学の極北とも言えるルーセルの表現について大学では卒論を書いた。おかげで言語と文字に興味を持つようになった。

今も同じだ。新作はまさに類似から派生したものの集合体になっている。炭窯の模型、木を削って土器の仮面をつけた女神、原始文字を書いた石、、

ここ数週間は自分で動画を撮っているけれど、どうもyoutubeの引力に負けている。Youtubeというメディアのフォーマット、収益への欲。アドバイスされたのは「ひとつのことのディテールを深掘りしたらいい」とのことだった。それと「変態性を解放する」こと。

ひとつのことのディテールと言えば、100%身の回りのもので作品をつくることを目指してきた。アフリカで泥の家を建てて、サバイバルアートというコンセプトをつくって8年。ようやく日本でもカタチになってきた。炭窯自体がサバイバル技術の究極だし、つくっている炭窯の模型も実際の炭窯近くの粘土を採取してそれを形成してる。直径40センチの大きさで扱いに手こずった。売っている粘土のように均質ではないし、小石やいろいろ混じっている。そもそも自然にある粘土だから、どんな風に固まるのか分からない。焼き上がりも不明。けれども人類が土器を焼いきはじめた頃、身の回りの土を焼いていたはずだ。

まず粘土を棒で伸ばして平たくして、ドーム型にした新聞紙の上に載せてみたけれど、バラバラに裂けてしまった。そこで実物の炭窯を思い出して、窯の周囲下方を厚くして天井は薄くすることにした。あとは気合い。「絶対にカタチにする」そういう意気込みが大切だったりする。練習だからとか思えばそれは練習でしかない。本番は一回きり。おかげで炭窯のカタチを作ることができた。翌日になってもひび割れていない。ということは、身の回りに土器をつくる粘土を発見し、ある程度のオブジェをつくれるようになった。あとは焼きあがり次第。Without buying, hunting materials from nature シリーズだ。(買わないで自然から採取する素材シリーズ)

土器の魅力とは何と言っても、人類が最初期に作ったモノだということ。縄文とか、そういうスタイルはどうでもよくて、身の回りにあった粘土を使って便利を生み出した。そこに注目している。器が必要だった。煮炊きするために。土器は火の中から生まれるところに興奮する。探究しているのは、生きるための芸術だ。作品にも生きているものと死んでいるものがある。命あるもの。はじめから命がなかったもの。

美術館やギャラリーでは、生っ木や、竹、土、草花、などの生ものはよっぽどの手続きを踏まないと展示できない。だから、それらを死んだ状態にする。乾燥させる、火を通すなど加工する。土器は生きている有機物を焼いて無機物に変質させる。美術館にあるモノたちは死んでいる。死ななければ美術館は陳列を許さない。では生きている芸術はどこに? アトリエに野外に自然のなかに。ぼくは桃源郷に生きているアート作品を展開している。そして美術館にそれらを並べるためには、殺すか代用品に巧みにすり換えて、芸術らしい作品を展示する。それはそれで芸術作品らしい死んだオブジェになる。

ところで最近気がついたのは、ぼくは何も上達していない。技術がない。しかしそこを目指している。絵も上手くならない。建築も中途半端。土器は陶芸のレベルに到底達しない。歌もヘタ。すべて技術以前の何かへと探究している。それはモノがあらわれた現場。絵以前のもの。建築以前の人が暮らすためのシェルターだった何か。土を器にしたその発見。歌になる以前の声があらわすもの。上手い下手ではない何か。それは何か体験しながら与えるコトバを探している。

楮をみつけて、紙を作ろうとしている。工程の半分くらいやってみた。炭焼きで桜の木は柔らかくて筆記に適していた。つまりデッサンの木炭をみつけた。それからこの地域ではお茶が採れる。去年は紅茶を作った。どれもこれも、生きるための芸術という活動の断片だ。行動から産み落とされる。だから動画をやろうと考えた。"Art is the doing words"

考えたことを行動してカタチにする。まずはそれだ。他のことはすべて後から付いてくる。頭に浮かんだイメージを検証や比較せずに手を動かす。そのエラーがオリジナルになる。行動の断片を組み合わせれば、太古から現代までをリンクさせた芸術人類学を表現できる。桃源郷の芸術という、ここにしか存在しない表現を目指している。