いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

君が土ならば毒まで喰らえ

f:id:norioishiwata:20230905142650j:image

絵を購入してくれたお寺の住職さんから、扇子の修理を依頼された。気持ちとしては忙しいとかお金にならないかな、とかあったけれど、妻がやろうよ、と言ってくれたので引き受けた。そんな経緯だったからしばらく時間が経って、ふと扇子を手にしてインターネットで修理方法を調べてみた。

扇子は竹を加工した骨に和紙を澱粉糊で貼り合わせたもの。修理は、剥がれた和紙と竹を糊で接着すればよかった。

雨が降った日にメールや事務仕事をやりながら扇子を修理した。やってみると、モノづくりの基本がここにあって、忙しいとかお金がとか、そういうこととはまた別の作業に集中する所作があって、住職さんがそれを教えるためにこの仕事を与えてくれたように思えた。

週末は日立でイベントがあった。ぼくはインタビュアーとポエトリーのライブをやった。インタビューはイベントの主催者の話を引き出す役割。返事をしながら次へと会話を展開させる。話しながら、この日出演する全員を紹介しようと思いついて、主催者に語ってもらった。イベントに出店している飲食のお店も紹介した。ここにいる全員がどんな人たちなのか分かるとイベントの隅々まで見えるようになって、みんなが楽しい空間になった。

インタビューは最初でポエトリーのライブは最後だった。ポエトリーはラップと呼んでもいいけれど、ラップというのは気が引けてそう言ってない。ポエトリーのライブは、DJが曲を作ってくれて、それに歌詞を入れたのがきっかでやることになった。ライブにはドラムも参加したおかげでコトバが溢れてきた。

道は続くし

終わりは遠く

けれども

一歩一歩

進むなら

月火水金

土と日と(つちとひと)

君の自由が見える

おかげでよいライブができたと思う。その時に小島くんが話しかけてきてくれた。

初めて会った小島くんは目がギラギラしていてお酒を飲んでいるんだなと思った。話してみると、コンビニのペットボトルを飲まないほどのナチュラル嗜好だった。山に暮らしていると言うと、ぜひ行ってみたいとなって明日の夕方ならいるから、タイミングが合えばぜひ。となった。

翌日は朝からサーフィンに行って、昼間は寝て、夕方前に図書館に行って帰ってくると見知らぬクルマが現れた。本当に来るとは思わなかった小島くんが出てきた。

ちょうど夕飯を食べていたので小島くんも誘って妻と三人で話した。以下はその時のエピソード。

小島くんは、工場系の派遣会社に所属していて一年周期ぐらいで兵庫から三重から愛知から茨城へと転々としてきた。工場の仕事は単調だしキツイし、身体と気持ちを強く持たないと負けてしまう。だから食べ物や飲み物に配慮するようになった。まずコンビニのモノは一切買わない。工場勤務でコンビニ弁当を食べていたら身体も思考もマヒする。ペットボトルの水もよくない。プラスチックの容器が悪い。ジュースなんてもっての他。

だから小島くんはお米にこだわりおにぎりにして持っていく。驚きなのは、工場に生えている雑草のスギナを生で食べる。それでビタミンを補う。つまり天然のサプリだ。

平日は工場で働きながら食事でサバイバルして週末は山に行って寝る。自然の音を聞きながら横になると自分が無になる、と話してくれた。小島くんの目がギラギラしているのはお酒ではなく溢れるエネルギーだった。

妻のつくる料理は、うちの畑や近所の人が分てくれた野菜がほとんどだから、喜んで食べてくれた。ペットボトルのお茶を出したけど話しの流れで、じゃあ、ウチのお茶を飲んでみて、とマコモの葉と蓮の葉をブレンドしたこの辺で採れた草のお茶を出した。これも喜んでくれた。

f:id:norioishiwata:20230906092552j:image

ぼくは生きることを表現するために今の生活に至った。山に暮らし井戸水で、薪ストーブに薪風呂、トイレはコンポスト、廃墟を住居にしている。

そんな訳で割と健康に暮らしていて食べ物についても妻が作ったものを食べているから、とくに気にしてなかったけど、小島くんに出会って新たな選択肢に気がついた。新しいことでもないとしても刻々と社会は変わっている。社会は自然から離れて、それをコントロールしようとしている。経済的な効率に最適化されカスタマイズされている。大地や海から生産された命は加工され店頭に並ぶまでこれでもかと薬品漬けにされる。一体何処までそれが進むのか。無意識にしろ無関心にしろ仕方ないにしろ、それら商品が売れるうちは、危険があっても効率を優先して流通し続けるだろう。

小島くんは「スポーツドリンクなんて洗剤ですよ」と笑って言った。

話しは戻る。モノをつくることも同じだ。由来も分からない工場製品を使ったり、安価な材料を買う背景に何があるのか、表現者も知らないフリはもうできない。扇子の修理が気づかせてくれた。いつもゴーギャンのタイトルがぼくに問う。

「我々は何者か、何処から来て、何処へ行くのか」言い訳は五万とあるけど、選ぶのはひとつ。それが自分の生きる道だ。