いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

薪が濡れている日はゆっくり火を行き渡らせること。

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雨が降ったあとは、火が上手くつけられない。杉の葉っぱで火を熾しても、濡れた木に消されてしまう。そういうときは乾燥した小さな端材に丁寧に火が行き渡るように燃やす。毎日、薪で風呂を沸かしているから、そうやって火に触れている。それだけで太古の人間と繋がっているような気持ちになる。だから火を焚き続けたい。人間らしく生きるために。

ぼくは妻と二人で北茨城市の山間部に暮らしている。あと犬と。この土地に生まれた訳でもなく、生き方を求めて彷徨って流れ着いた感じだ。人は生まれる場所を選択することはできない。もちろん時代も。だからはじめに配られたカードを総入れ替えするのもありだ。すべての可能性やチャンスをシャッフルする冒険に賭けてみる。

いまは2022年。ぼくはもうあと数日で48歳になる。いまは決してよい時代ではない。コロナウィルスが社会を変質させて、ロシアはウクライナと戦争してて、物価は高騰している。けれども、いつの時代も良かったことなんてなかったのかもしれない。世界のどこかでは戦争をしていて、飢えている子供たちがいる。もし平和に感じることがあったとしても、それは見えていないだけのことだ。

この日記を書いていたら妻に呼ばれた。

「ちょっと見て欲しいから長靴を履いてきて」一緒に家の前の畑に行くと、そこは水浸しになっていた。今日の雨で水が流れて溢れていた。水のルートを調べてみると、ここは元々、田んぼだったから水が流れて溜まるようになっていた。つまり何十年も前にデザインされた土地はしっかりといまも働いていた。対策としては水の流れを変えるか、畑の場所を移動させるかだ。ぼくは畑をやっていない。妻がやっている。あまり上手くいっていないにしても、やる事自体に意味がある。そう考えられる余地が生活には必要だ。

昨日、大学生が取材に来てくれた。ぼくは話しをするのが好きだから、話を聞いてくれることが嬉しい。誰かに話しをするとき、自分の考えていることがシンプルな言葉になる。

いまは良くない時代でもしかしたら酷い時代なのかもしれない。ぼくは10年前にもそう感じた。東日本大震災原発事故だ。そのとき社会も壊れることを知った。同時に自分も加害者で壊した側の人間だと思い知った。電気を使って、それがなければ生きていけない暮らしを選択していた。だから新たに社会がエラーしても影響を受けないようなライフスタイルそのものを作ろうと決意した。

それをきっかけに仕事を辞めた。39歳だった。都市、田舎、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、いろんな場所を旅していろんな生き方を見た。本を読んだり調べたりして、自分にちょうどいい暮らし方を模索してきた。

それは社会に従って生きるだけでなく、自分で考えて、ときには勇気を出して周りとは違うやり方を選択することだった。ぼくのしていることはぼくにとって心地よい暮らしで、さあみんな同じように暮らそうぜ、と呼びかけたい訳ではない。生きるとはどういうことなのか、もっとより快適に生きる方法とか、過去と現在と未来の組み合わせ方とか、そういう思考と実践の軌跡を言葉にして、本にまとめたいと思っている。

ぼくは生活を作った。絵を描くことや文章を書くことを仕事にするために。絵は描けば売れるようになった。すべてではないにしても。とは言え、妻と二人で制作しているから、たくさん絵を作れるわけでもない。作ろうとするのではなく環境とか状況が作品のイメージを浮き彫りにしてくる。ぼくはそれを取り出す。そのスケッチをする。もちろんこの先には、自分の表現をより世の中へ伝える使命がある。ぼくと同じである必要はないにしても、空想の世界を描くだけなく自分の日常生活をそれぞれのアートとして取捨選択して作るようになれば、社会は変わる。しかし伝えることは、北風と太陽みたいなもので、頑張るほど北風になってしまう。

日々の出来事や考えたことを文章にしている。記録することが書くという行為の原点だと思う。自分のしたことを言葉にする。すべては記述できないから記憶に編集される。自分の歩いてきた道を記すこと。そうやって記録されたものはこの社会の何億分のイチの現実を切り取っている。それを磨いてカットして輝かせてみたい。つまり自分でレイアウト/デザインして本にする。本は言葉のアート。研ぎ澄ませば詩に接近していく。何度も推敲して輝くまで。印刷所に出して製本してもらう。それが作品になる。これは儲かるほどは売れていない。けれどもう4冊出している。経験を積んで本を作れるようにはなった。本は出版流通されなくてもぼくは本を作ることができる。作ることによって自分が制作されている。人生をつくる仕事、つまりライフワーク。もちろんこの先には、商業的に流通させるという課題がある。

このできていない部分を含めて循環が成立しているのは、現時点で安定した収入である北茨城市からの地域支援員としての給料の20万円。この仕事は予想もしなかった位相から立ち上がってきた。やりたいこと、目の前にあるやるべきことに取り組んできた結果、それが仕事になった。つまり全方位に可能性が埋まっている。やって無駄なことなんてない。

していることは、いま暮らしている山間部の風景を作るという珍しい仕事だ。草を刈ったり、花を育てたり、木を伐って炭を焼いたりしている。おかげで、生活そのものをつくる生活芸術という実践をやれている。古くて新しい、普遍的なアートだと思っている。生活と仕事と自然と遊びと表現の一致をアートとして論じること。このドキュメントを一冊の本にまとめてみたいと考えてこれを書いている。

上手くいくことも、上手くいかないことも、それら全体でぼくの生活はつくられている。石ころを拾って眺めるように、小さな些細な出来事を拾い愛おしく抱きしめて、ゆっくりと表現していこう。知ってくれている人がいる、これを読んでくれる人がいる。どれだけ勇気を貰うことか。