いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

限界は何処だ?

「限界は何処だ」は惜しくも今年解散してしまった日本のハードコアバンドGAUZEの2ndアルバムのタイトルだ。1988に自主制作でリリースされて以来、インディペンデントな姿勢を貫く活動をしてきた稀有なバンドだった。

いま考えるのはまさに「限界について」。忙しいと言って毎日を過ごす。けれどこの忙しさも人によって異なる。ぼくも最近忙しいような気がしているが会社勤めの人とは比にならない。だとしても自分のなかで確かに限界があってそれは日々小さくなっていく気がしている。

これは持論だけど、20代にしたことで30代を生き、30代にしたことで40代を生き、40代したことで、、と続いていく。だとしたら、各世代の後半数年は、自分のキャパを拡張させた方がいい。ぼくはいま48歳なので、50歳まで限界を押し広げたいと考えている。

事実そうやって年を重ねてきた。20代の終わりに表現者になると決意して、30代の終わりに表現者になるために旅をして、40代の終わりのいま表現者として生きている。北茨城市の山間部につくる桃源郷、北海道札幌市のはずれに龍神の水をきっかけにしたエリアづくり。ランドスケープをテーマにした作品を手掛けている。予想もしなかったフィールドに立っている。同時に幼稚園での絵画教室もはじまり、特別支援学校との仕事もはじまりそうだ。個展の準備、依頼された作品の制作。すべてアートに関する仕事をしている。万が一、これを読んでくれた人に言いたいのは夢は実現できる。

成功するかどうかは別として実現できる。ここがポイントで競争したり高みを目指せば挫折する。必ずいつか終わるときが来る。だから続けることを目指す。成功か失敗で言うならぼくは有名でもないし美術館ともギャラリーともそれほど縁がない。だとしても、現在していることの延長線にそのどちらもがこちらに歩み寄ってくるとイメージしている。なぜなら人生の軸は生きることを中心に回転しているのだから。芸術とは人間について新しい眼差しを与えるための表現だから。

競争しないのだとすれば、自分の人生がどこへ向かっていくのか、ある程度の方向性をつけることはできる。それは48歳の実感だ。勘違いかもしれない。だとしてもこの先も勘違いが続いたまま死ぬラッキーを期待しつつ、50代、60代どこへ向かっていくのか想像しておきたい。

ぼくの手持ちのカードはランドスケープアート。大地の芸術。ぼくはこれを進めたい。耕作放棄地や休耕田、山や森を活用すること。北茨城市でスタートして、北海道の知り合いからオファーされて取り組んでいる自分の表現の最前線。ぼくの場合は準備ができたからアーティストとして招聘されるというよりは、その基盤、環境整備からやることになった。ゼロからの立ち上げはお金にならなくても大きな財産になる。経験という変え難い価値を手にする。

20代の決意が40代で結実するのだとしたら、ぼくは60代には海外で活躍していたい。日本は小さいと思う。小さいのに限界を決めて小さくまとまろうとしているように見える。いま北茨城市や北海道で活動する地域は、どちらも少子高齢化限界集落といった現象の結果、人が手を掛けなくなり、価値を失い、大地そのものが放棄されている。もしくは次世代へのバトンを渡せずに放棄されようとしている。そこにあるのは、大地と森、川、木々や草、つまり自然という資源。

集落の法事で隣りに座った人が地域の老人97歳のお孫さん37歳で神奈川県の藤沢在住だった。お孫さんが子供だった頃は、地域の田んぼはすべて使われていて、それは美しかったと話してくれた。ぼくは日本は小さな国なのにより小さくまとまって都市開発ばかりで一次産業を保護しなければこの先は崩壊だと酔っ払って話した。東芝でエンジニアをするお孫さんは、ぼくは職業柄か、都市のスクラップビルドには賛成なんです。そうやって経済は発展するのですから、と言った。

ぼくはいつの間にか、田舎暮らしの都市批判のスタンスになっていた。議論する余地のないほど遠くの誰かと話すことは自分を調整してくれる。ぼくはぼくのままである必要はない。固まるよりは、限界を超えて柔軟でいることだと思う。もっと言えば境界線は、複雑で表層と深層では分断の仕方が違っていて、反対に見えることが根っこでは同じだったり、同じに見えることが矛盾していたりするから、どこにいても間違いを犯している。

つまり自分で考えているようで実は反響したものが思考のように固まっているだけ。で、新しい反響を起こすために新しいことに取り組む。経済活動とは関係なく、まずは自分自身を拡張するために。そのために領域を横断して越えていく。反対側の意見を飲み込んで。それがアートであるかどうかは問題ではない。表現を続けていれば、それはアート表現として回帰してくるのだから。目的は生きること。

1988年のGAUZEのアルバムの裏には「何処までいけばいいんだ!どうしてあきらめるんだ」とメッセージが書かれている。

そしてインナーには「おまえらにとって,この道は耐えられない道なのか。その先にある雪を食う勇気は無いのか。誰も行った事の無い,誰も登り着いた事の無い,山奥に潜む氷の塊を溶かすのは誰なんだ」