いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

していることを書くと見えてくる行き先。

おはよう。と朝、目覚める。何ができるだろう。何をしたいだろう。ぼくはメモを取る。大切なことを忘れないために。

昨日は5月1日だ。天気が良くて気持ちよかった。木々や花が喜んでいるようだった。太陽の光が時間によって違って景色を変えていた。景色は光によって表情を変える。とくに5月の日差しは生命を輝かせる。

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この1カ月くらい、第二次世界大戦ころのナチスについて映画や本に遭遇する。人間が犯した巨大な過ち。戦争。差別。虐殺。ヒットラー率いるナチスヒットラーは宣伝に長けていた。それについて書かれた本を買った。全4冊の和田誠装丁。たまたま諏訪の古本屋さんで出会った。まとめては買えなかったのでひとつだけamazonでみつけて買った。ごめんなさい。ここには民衆をコントロールする方法が書いてある。危ない本だ。装丁も危険。

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北海道で10日間ほど滞在制作をした。美術館でもギャラリーでもなく。個人のオファーで。とくにこういうことがある。オファーはぼくの技術に価値を見出してくれた証。大地をプロデュースする計画。これについては別に書こう。

北海道の帰りに妻チフミの実家、岡谷に寄った。犬のヒナコを預けていた。たまたま隣町の塩尻で観たかった映画「逆転のトライアングル」がやっていた。チフミの両親もそんなところに映画館なんてあるのか?と言う。行ってみると町の古い映画館でポルノもやっていた。むかしの映画館を保存して続けていた。映画のセレクトも単館向けのここじゃなきゃ観れないような。「逆転のトライアングル」は素晴らしかった。ネタバレしたくないので何も書きません。いつか機会あれば観てください。サウンドトラックもよかった。MIAが Sucideをサンプリングした曲はよかった。

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旅をすると眼差しが変わる。当たり前のことが当たり前じゃなくなる。いつも見ていた北茨城の景色が特別に感じた。バンドの練習で東京にも日帰りでいったから尚更だった。臭いすら違う。ぼくの暮らす北茨城の桃源郷は人間の臭いがしない。木や草の匂いが風に飛んでいく。

朝起きて、草刈りに出た。ぼくら夫婦はこの地域の景観を整えている。大地の理容師と呼んでいる。草を刈ると人の手が入って綺麗に感じる。まさに美容院とか床屋に行った感じ。

ぼくは芸術家だけど、起きる出来事とセッションしている。絵を描くことやオブジェを制作することは全体の一部だ。全体としては出来事を組み合わせて現実をつくっている。これを生活芸術と呼んでいる。

日本は何かを失っている。これを言葉で明らかにすることがぼくの仕事かもしれない。北茨城には海と山があって、その間に畑や田んぼがあって、一次産業の資源がたくさんある。けれどもそこから社会は離れていっている。だから山間部は過疎が進む。休耕田や耕作放棄地が増えていく。どう考えてもそれでいいはずがない。日本は国内の自然資源を活かせてない。自給率は下がるばかりだ。

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炭焼きをしている。薪を作っている。それを見たアウトドアショップのオーナーから薪を仕入れたいと連絡があった。納品に行くと、前に納品した炭を買ってくれている人がいた。自然から仕入れたものを商店に卸してそれが生活を潤す。ここにとても基本的な循環が現れている。生きることが見えなくなっている現代にぼくができることがある。もっと分かりやすく、水が高いところから低いところへ流れ潤すように。ヒットラーはそれを分かっていた。多くの不特定多数に伝えるには低い方を基準にすると。

個人的には低い高いと分類するのは好きじゃない。けれども、嫌悪するもの敵するもののやり方から学ぶことも戦略だという。技術は循環するという。

まだまだやることがある。