何を書いても違うと感じるばかりだった。今日午後に机に座って、いくつかの好きな本を積み重ねて、ページをめくりながら、文章を書いた。やっと自分のことが書けた気がした。
今の今のことを書かないから違和感があったのだ。SNSやメディアに引っ張られて誰かの言葉やテンションで、何かを伝えることに懸命になっていた。そこに自分はいないのに。
いくつも書いて自分と言葉の重なるところへ調整して、やっと生きるための芸術シリーズ4冊目を書きはじめたからもう大丈夫だ。ずっとここに言葉を記録しているから「今」がスタートすれば過去はここにある。大切なのは今自分が見ていることだ。
ひとりの子供が立ち上がって叫ぶ「マイクラやりてえ!」くるくる周りながら何度も叫んだ。素晴らしい。いつから人は自分が思っていることを叫ばなくなるのか。
ねえ先生聞いて!
戦争ってあるでしょ、爆弾を落とすんじゃなくて花火したらいいと思うんだ。どっちも爆発するけど、花火だったら誰も死なないし楽しいよ!
去年からやっている絵画造形教室での出来事。今の今の出来事。ぼくしか体験していない出来事のドキュメント。
夏前に炭焼きの師匠が分蜂した群を蜂の箱に入れてくれた。蜂は環境が気に入らないと出ていってしまうが、数ヶ月してもまだ滞在しているので、師匠が採取してみよう、と言ってくれた。蜂の箱を開けると、ビッシリ詰まっていて、つまり大量のハチミツを手に入れた。三分の一は師匠にギフトとして、あとは瓶に詰めた。ハチミツの匂いと甘さに感動。妻は蜂の箱を開けるときから大興奮だった。
調べてみるとスペインの壁画にハチミツを採取する絵が残っていて、10000年前から人間はハチミツとっていたらしい。エジプトでは5000年前に粘土で養蜂をしていたとか。
いまの暮らしの中にも何千年も遡れる営みがある。それが生きるための芸術で、そこから作品のきっかけを汲み取りたい。
仕事は流れている。水脈のように。幼稚園の講座のほかにも、子供たちとのワークショップを依頼されたりして、それを見た人が仕事をオファーしてくれた。仕事から仕事へ。理想的な流れだ。今度は中学生高校生への体験講座。
そもそものぼくのモチベーションは、芸術で生きていく!ということだったので、それが叶っている。しかもぼくら夫婦には子供がいないので、こういう機会を頂けるのはありがたい。
先日も、お世話になったクライミング先生と仲間たちがBBQに訪れてくれ、そのうちひとりが絵を購入してくれた。作品が売れるという奇跡も続いている。
ぼくが書きたいのは、成功の方法や何かのノウハウでもなく、目の前のこと、個人的なこと、小さなこと、それらが集まって、詩的に響き合い、なんだかページをめくってしまう、そんな本をつくりたい。それが生活というものだ、と。
なんとなく、そんなシンプルな本は「青い鳥」なのじゃないかと検索したら、青い鳥は、メーテルリンク作の戯曲だった。演劇の台本。でもメーテルリンクは「蜜蜂の生活」という本も書いていた。でさっそく買った。そうやって本が溜まっていく。本を作ることでぼくは更新される。新しいバージョンにアップデートされる。本づくりも勝手にやっているが、それをライフワークにした自分に感謝したい。
マルセル・デュシャンが、芸術をハチミツに喩えていた。大学の図書館で読んだ。作家は蜜蜂のように蜜を集めて作品をつくる。その作品がたくさんの人の目に触れて言葉にされていく過程で、精製されてハチミツ、つまり芸術作品になる、と。
とにかく日々創作しているようで、いつの間にか手癖で動いているだけになっているときがある。それじゃダメかと思いきや、そんなこともない。そんな中に置かれたコトバや絵やオブジェにも、意味が与えられるときがある。失敗も無駄も成功も努力もルーティンも、なんでもしてればいい。
新しくなること。更新すること。遠くに届けようとする意志がそれを働かせてくれる。