いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

見ているものは同じだ。やり方は違っても同じことを伝えようとしている。

いま住んでいる北茨城市からクルマで高速を使えば1時間のところを、経費削減と慣れないマニュアルの軽トラックでの遠征なので、下道で、城里町にある友達のキャンプ場に向かった。

2年前に友達エビちゃんは、市が使わなくなったキャンプ場を仲間と購入した。そこを改修整備しながら運営してきて、見事にその間にキャンプブームがやってきた。先週は、そこで縄文をテーマにしたイベントが二泊三日で開催された。DJとトークで誘ってもらって、初回のイベントだし予算もないだろうから、出演費については期待しないで、自分で物販をやってお金をつくることにして、炭、ミックスCD、本を持参した。

ナビのない慣れないマニュアルのクルマでの遠征は思ったより時間がかかり昼の一時半に出て着いたのは夕方の5時だった。着くと、気功の体操がはじまっていた。イベントはエビちゃんが好きな、祈りとか、スピリチュアル、神秘系から宇宙人まで、それらをひとまとめにしてneo縄文と題されていて、いきなり抵抗感はあったけれど、気功体操に参加した。

しかしやってみると、それはそれで納得の体操だった。気持ちを入れたり出したり、その循環のなかで、自分のやりたいことをコトバにして出した。ぼくは自分なりに自分を調整する方法を持っている(例えば、文章を書くこと、ストレッチ、ランニング、サーフィンなど)。それがなかったら、気功体操のようなメンタルを操作する技術を必要としていたと思う。

体操が終わって、まず物販のスペースを開いた。つまり開店した。今回は妻チフミから一万円預かって、3日間ここで飲み食いして、物販をやって幾ら持って帰ることができるのか。考えてみれば、とても基本的な話で、手元にあるお金を減らさずに増やすことができれば、なんの不安もなく生きていけるし、大金持ちにもなれるはずだ。ベンジャミンフランクリンはこう言っている。

しかしこれまでの自分は一万円は欲しいけれど、一円をコツコツ貯めて一万円にするような努力を怠っていたように思う。

我が物販のお隣はさっき気功体操をやっていた山寺雄ニさんで、話してみると、とても気さくで優しい兄貴だった。なんと、すぐにぼくの全商品をお買い上げしてくれた。すごい人だな、と思った。隣に座った誰かを全力でサポートできる人はそういないと思う。ちなみに3日間、山寺さんは、ぼくにお酒や食事を提供し続けてくれた。ぼくだけでなく、集まってくる人に食べ物を振る舞っていた。すると食べ物もまた集まってくるようになった。

今回の遠征にはもうひとつ目的があって、いつかキャンプ場をつくりたいと思っている。なので、その辺のこともリサーチするつもりだった。結果から言うと、キャンプ場をやるのに申請とかも必要なく、なんなら水もトイレも何もなくても、お客さんさえ来ればキャンプ場は成立するという話だった。つまり、水がなければ持参するし、トイレがなければ野糞でもいい。とは言え、それでもくる人はいるのだろうか、何にしても最低ラインを知れたのは参考になった。

そのほかにも収穫はいくつかあって、今まではスピリチュアルな方面には触らないようにしていた。ぼくは、スタイルに染まるのが好きではない。自分のままでいたい。まあひどく勝手なスタンスだ。けれども気功の山寺さんに出会って考え方が少し変わった。表現の仕方が違うだけで、自分のアート活動と似たところ、共通点もたくさんあるようだった。ぼくは、見えないものを信じてないわけではなく、あると思うけれど、そういうチカラを引用したくはないし、コントロールできる気もしない、だから避けているんだと思った。

ぼくに影響を与えてくれた、タロット占い師の人は、ぼくが見えないチカラを信じるようになれば、能力を発揮できると言って、君はそんなものじゃないと励ましてくれた。もう20年も前の話だ。そのとき、彼女が風を呼んで木々をざわめつかせたのを覚えている。

思い出したことがある。世界の旅に出る前、チフミが保険を契約するためにメールで申し込みをして、返事がないと言っていたら、知らない人から「亡くなった娘チフミのお母です」とメールが届いた。チフミからそれを聞いたとき耳を疑った。我が妻チフミは、メールアドレスを一文字間違えていたのだ。それが亡くなったチフミさんのアドレスだった。亡き娘を偲んでそのアドレスからメールを見ていた母のところへチフミが旅に出るために保険を申し込んだといメールが届いて、その母は驚いた。内容見て違うチフミだと分かっても、まるで別の次元で生きているようで嬉しかったと亡くなったチフミさんについて書かれた本を送ってくれた。たぶん、この出来事を霊界と繋がったと言うこともできるのだと思う。

山寺さんは霊能力的なことも持っていて、縄文のエネルギーや縄文人のメッセージを受け取ったりしている。それで何をしようとしているか、話してくれたのは、縄文的に循環する社会を作りたいということだった。

なるほどと思った。それぞれがそれぞれに影響を受けたことが、何かしらかのカテゴリーのなかで表現されて、それを人に伝えようとする。ぼくは音楽や文学やアートから影響を受けたから、そのようなコトバを通して思いを伝えようとしている。山寺さんは、人生のなかの偶然の出会いや、奇跡としか思えないこと、直観など、ぼくには未だ分からない何かを通してコトバにして伝えようとしている。

 


ぼくは生きている。確かに生きている。けれども、ちょっと油断すれば、この生は、その自由なチカラを奪われてしまう。何にだろうか。時間を奪われてしまうのだ。お金がなければ生きていけないからと、その人生そのものである時間を売ってしまう。時間を売るようになると、売れない時間を暇と呼ぶようになる。むしろ、予定のない空白の時間こそが生まれたままの純粋な時間なのに。

二泊三日、キャンプ場に滞在して、いろいろな人に出会い話しをした。最終日には、トークをした。会場が変更になって、そこにいる全員に伝えられなかったのは、ほんとうに残念だったけれど、与えられた環境、ひとりでも聴いてくれる人がいるなら、ベストを尽くすべきだし、ぼくは人前で話しをするのが好きだから、そうやって気持ちを切り替えて、話しをしているうちに予想以上に人が集まって話しを聞いてくれて、とても嬉しかった。何よりトークのあと、本が欲しいと多くの人が買ってくれ、持参した一万円は最終的に一万九千円に増えていた。

ぼくは人生という道の途中を歩いている。しかもこの道は自分で選んで切り拓いた道だ。ぼくはそもそもの道を踏み外してしまった。たぶん20歳ぐらいから。もっと前からそうだったのかもしれない。だから自分で作るしかなかった。

 

火を焚き

水を引いて

生活を

目の前をつくり

景色をみつけ

絵をつくり

それを売って

生き延びて

経験したことを

コトバにして

耕して

道をつくり

歩く

 

ひとりひとりが

生活をつくれば

やがて社会が変わる

それをいつか時代が変わったと

人は言う。