いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

パンク生活ヒップホップ役立たずの芸術に救われる。

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先週末にライブをやってから、エネルギーがゼロになって、けれどもなんとか日々を過ごしていたところ、水曜日にトークイベントで東京と北茨城を日帰りしたら風邪を引いてしまった。おまけに週末は北茨城市でのイベントでアーチの製作を依頼されていたので、金土日なんとか寝込まないでやり遂げた。月曜日ようやく回復して文章を書く余裕ができた。

こうして文章を書くのは、流されないためにやっている。自分という人間が何をしようとしているのか確認するために書いている。書かないと何をしようとしていたのか忘れてしまう。とても大切なことを思い付いたけど、あれ何だったっけ。となって、ネットを見てるうちに忘れる。微かにでも思い出せればまだしも、すっかり忘れて毎日過ぎていく世の中に流されて漂流してしまう。世の中には情報が決壊して濁流のように溢れているから、どんどん低いところに流されていく。溢れている情報のほとんどが、どうでもいいことだったりするから溺れてしまう。だから、どうでもいいことの波に流されて大切なことを忘れないようにこれを書いている。

 

大切なものは何か

よくよく考え求め

風に聞き

道歩き

やっぱりこれだった

幸せだ

ハッピーだ

それこそが

人生

 

ここ数日は、ライブをやったことを文章にしようと書いていたのだけれど、どうも気に入らなくて放置している。数行前に書いてある言葉の列は歌詞だ。

 

自分の「音楽」には未だ言葉を費やすことができない。位置が定まらない。やっている音楽は仕事ではないから趣味なんだろうけど、それよりもっと気持ちが入っている。そもそも仕事と趣味の区別もよく分からない。おカネを得れば仕事で、おカネにならなければ趣味なんだろうか。決してそんなことはなくて、クライミングや登山、サーフィンをやってる友達は、おカネにならなくても人生を賭けてそれを楽しんでいる。

 

自分のしていることが社会的な枠から離はみ出していく。したいと思うことをそのまま素直にやるほど、カテゴリーできないものになっていく。つまりそれがやりたいことなんだと思う。人がやってないこと、考えていないことをカタチにしたい。まったく新しくなかったとしても、自分にとっての新しい視点を発見したい。

例えば、ぼくにとっての音楽は「エネルギーとメッセージ」だ。パンクロック、ヒップホップを聴いて育ったぼくにとってジャンルやカテゴリーは必要ない。そもそもヒップホップもパンクもジャンルではなかった。何もないから代替として発生したエネルギーが爆発したからこその遊びだった。

ぼくにとっての音楽は聴くだけでなく、踊るということも音楽と戯れる手段のひとつだった。「踊ること」「エネルギー」「メッセージ」これがぼくにとっての音楽の要素になった。それは音楽が好きで、音に触れようと追いかけるうちに見つかった要素だった。それを追求して表現しているNOINONEというバンドは、まったく新しいモノではないけれど、初めてライブを観た人は「これは何ていう音楽なんですか?」と質問してくれる。

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これはアートに対しても同じ姿勢だ。「生活することがアートだ」と宣言するのも「生きること」「表現すること」がぼくにとってのアートの最小公約要素だからだ。

「生活をアートにしよう」というスローガンは、とても真っ当なテーマだと思う。永遠に。ぼくたちが自分の生活に責任を持って、ひとつひとつのモノに対して、それがどこからやってきて、何処へいくのか、その循環に注目して取捨選択をすれば、社会はまったく違うモノになる。

だから今向き合っているのはゴミだ。役に立たないモノ。そもそもパンクロックやヒップホップは、ゴミのような状況から生まれた音楽だ。イギリスで長く続いた不況、アメリカのアフリカにルーツを持つ人々が暮らす地域の貧困、どうしようもない、やり場のない環境から湧き出したエネルギーが、パンクとヒップホップという現象を創り出した。

 

日本では、都市への人口流入が続き、地方では過疎が起きている。一方で、日本の経済は成長に限界が来ていて、それでもまだ成長させようとしている。けれど、それはほんとうの豊かさではない。では豊かさとは何か。

もうお腹いっぱいなのに、美味しいご馳走だからと食べ続ければ、それはご馳走ではなくなる。あまりにモノが溢れると、あれがないから出来ないと考えてしまう。けれどなければ、あるもので何ができるのかやってみるしかない。どちらが自由だろうか。

【ぼくたちひとりひとりが、快適な生活環境を手にすること】

ぼくは、これをアートを通じて表現したいと考えている。おカネも必要だけれど、それよりも大切なものがある。湧き出してくるエネルギーそれを表現した先に、その向こう側に社会が受け入れざるを得ない喫水線がある。エネルギーが溢れて決壊してしまうような境界線がある。

そもそも特別な人だけが表現できるんじゃない。子供は誰でも表現者だ。パンクロックは3コード弾ければ、もうステージに立った。ヒップホップは何もいらない。ステージもいらなかった。言葉を並べてメッセージし、ストリートで踊った。

ぼくは、ヒップホップやパンクのように「生活」を爆発させてみせたい。誰にでもできるライフスタイルの革命を提案したい。何よりまず、自分がそれを実践して楽しむことだ。そう思ってコツコツやってると、また社会から離れていく。仕方ない。人と違うことがしたいのだから。生き延びて表現し続けようと思う。こうやって自分と作戦会議する。それは何よりも大切な仕事だ。自分が自分を信じて自分を作る。