いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

活動/仕事/制作/労働/お金

お金の使い方について妻と意見が食い違って、結果、自分が一か月間「買い物をしない」ということになった。妻は買い物するから生活には困らない。面白いことに「しない」を選択すると「する」ことと徹底的に向き合うことになる。

例えばムスリムにはラマダンという習慣があって、断食をして飢えた人や平等のへの共感を育む。

お金を使わないことは、使うことの意味を浮き彫りにしてくれる。そうなることを予期したのか、7000円するドイツの思想家ハンナ・アーレントの本「活動的生」を先月末に買った。今月はもう本を買えないので、この一冊を徹底的に読むことになった。これも"less is more"の好例になった。

アーレントのこの本は1959年に出版されている。本書は人間が生きるためにしている、労働、仕事、活動、制作を巧みに分類する。労働とは自然に働きかけ食べ物を手に入れること。仕事は、生きるためのお金を獲得するために。活動とは、その枠を超えてやらなければならないこと。制作とは、消費されないものを残すこと、読みながらそう解釈した。

この本は、ぼくが目指す「生きるための芸術」や「生活芸術」という活動を再定義してくれた。例えば、ギリシャ時代は、生活に関する一切をしないことが奴隷ではないことの証だった。生活に関する一切をしないために奴隷が存在した。また肉体労働もそういう仕事だった。その何千年も前の習慣が今にも残っていて、現代社会では無意識のうちにそうした労働を避けようとする。人はそもそも生活という生命維持活動をアウトソーシングする方向に向かっているのだ。だから炭焼きも過酷で差別されるような仕事だったのだと理解できる。

ぼくが目指している生活の芸術などということはデフォルトで社会構造の外にあるのだ。けれども例外はあって、日本には生活を芸術にする嗜好がかつてあった。千利休によって極められた「茶道」はまさに生活の芸術だった。それは岡倉天心茶の本にも記されている。だからこの道が、あらゆる領域から逸脱して、お金にもならない、汗を流してやるようなことになっているのにも納得した。先人たちの表現が切り拓いてきたその光を、その僅かな抜け道を繋ぎ合わせて新しい意味をつくることに、思想という表現があり、それをやる意義についても強く自覚できた。これは書くという表現として、ぼくのなかに息づいている。

アーレントはこうも書いている。人間は、コトバにすることでしかこの世界を理解することができない。自分の世界を記述することで、自分の世界を見ることができる、と。誰かが書いたモノを目にすることは、自分以外の世界を見ているに過ぎない。しかし「自分の世界」という領域はどんどん社会に侵食されている。ぼくたちは自分のコトバで書かなければ、誰かのコトバに覆い尽くされてしまう。それは広大な海のうえで、自分の位置を見失なうようなことだ。

ぼくは、自分の世界を記録するためにココに文章を書いている。ぼくはそれをしなければならないと感じている。なぜなら、それこそが制作することに他ならないからだ。

自分の表現は、絵を描くだけでなく、アーレントが言うように、まさに「活動」と言うことができる。そこには肉体労働も生活づくりも含まれている。それがアフリカで家を建てた経験から始まったのも納得できる。つまり社会全体が奴隷的な身分を避けて、そうした労働から逃れようとするなか、ぼくは積極的にそれらを取り戻そうとしている。そうすることで「生きる」という活動自体を近代化、社会化から解放することができる。何千年もの人間の営みを捉え直す作業と言うこともできる。

強制的な労働から解放された草刈りは、自然と向き合う禅的な時間を与えてくれる。目の前の草をひたすらに刈っていく作業のなか思考が展開していく。今日は、草刈りをして楮(こうぞ)をみつけた。この後数年の企みとして紙をつくりたいと考えている。この土地で楮を栽培していたと聞いたからだ。けれどもどれが楮なのか、判別できなかった。図鑑を眺めていても、実物を見つけることはできないが、現場では、それを発見することができる。フィールドはまさに現場なのだ。

 

草刈りをしながら考えた。身体を動かしなが表現することこそが、音楽が辿ってきた道なのだ。思考は突然にアイディアを点灯させる。ぼくの表現はいつも、ロック、ブルース、さらにはブラック・カルチャーと呼ばれる歴史へと接続する。そうした視点からぼくは世界を眺めている。

今月はお金を使わない月間でありながら、前から約束していた例外として、妻と映画「サマーオブソウル」を10月1日に観にいった。アメリカには、奴隷として連れて来られた人々がいた。その人たちは過酷な労働のなか、日々の楽しみとして音楽を演奏した。アフリカ由来のその音楽は、アメリカは移民の国だから、さまざまな文化が混ざって独自に発達した。それは現在のロックやヒップホップ、レゲエ、さまざまな音楽のルーツとなっている。

なぜその話をするかと言えば、それら音楽が持つある種の眼差し、ぼくの活動の根底にはそれがある。それら音楽のコトバ、詩は虐げられる人々の魂だった。ときには隠喩としてその苦悩を歌った。どうしてなのか、ぼくの目線はいつもそこにある。生きるという現場からぼくの表現は生まれる。

アーレントの引用に戻ると、作品を制作するのは消費されないモノを残すことなのだ。消費されないとは、使い尽くされないモノであること。つまり、作品はアンタッチャブルな存在として、できる限り残り続けるモノであることを目指している。だからぼくは、活動をコトバにして、本にまとめて残そうとしている。絵画作品をつくるのもそうだ。形式は何であれ、残るものを制作している。「売れる/売れない」を超えた、時代から削り落としたオブジェを作っている。

アーレントのこの本のタイトルが「活動的生」で、活動することについて徹底的に思考していながら、それをズバリ的確に表すタイトルをコトバにできていないところも共感する。因みに「人間の条件」というアーレントが英語で書いた原稿を翻訳した版もある。こちらの方が有名らしいが、「活動的生」は彼女の母語ドイツ語で書き直した版からの翻訳で、比較はしてないけれど「活動的生」は読み尽くせない、つまり消費できないほど深くコトバが刻まれている。

 

ぼくの仕事のひとつに、北茨城市で「芸術によるまちづくり」という取り組みがある。草刈りをして景観をつくる「桃源郷づくり」もそうだけれど、例えば移住を検討する人にこの町の魅力を伝えるような役割もある。昨日は、リモートでイベント会場と繋がって、移住に興味ある人に説明する仕事をした。そのなかで「芸術によるまちづくりをしていて、市民の人たちも芸術を楽しんでいる」と話した。そう言ってから具体的に何をして楽しんでいるのかと考えた。妻がすかさず陶芸などの講座があるんです、と付け加えた。

草刈りをしながら、そのことを思い出して、市民の人が芸術を楽しむとは、市民の人が講座の先生になったり、生徒になったり、またはそのためにこのまちを訪れる、滞在するということが「芸術のまち」ということになるのではないか、と閃いた。

これは2018年にボストンで滞在制作したときに、プロビンスタウンという人口2000人ほどの小さなまちが、夏には芸術のまちとして何万人もが滞在するリゾート地に膨れ上がることを知ったときからずっと考えていたことだった。

陶芸だけでなく、家を改修する技術や、釣りやカヌーや、サーフィンや、生きるための技術すべてを対象にすれば、それは一過性の観光とは違うまちの未来がある。これは企画書にしておきたい。企画書は代理店で働いたときに学んだ技術で、計画を伝えるのに役に立っている。それが実行される/されないに関わらず、計画のアイディアを共有するツールになる。自分の活動を、絵を描くとか彫刻をつくるとかの表現だけではなく、社会そのものに働きかける取り組みも含むものにしていきたい。

ぼく自身が自分のしていることを理解してしまっては、それはアートではないと考えている。言い方を変えれば、常に自然を残しておかなければならない。自然は意識しない。答えと直通することは不自然にあたる。それはコラージュという技術を常に魔法のようにこっそりと使い続けることを意味している。コラージュとは異なる素材を組み合わせ予想外の画面をつくることで、例えば雑誌を切り抜き、その裏側や使うつもりではなかった端切れを使って、自分の意図を超越していくこと、だから積極的にフレームを超えて活動していくことが、ありえないような「生きるための芸術」を結果的に表現することになる。いまぼくは、これまでに捉えることができなかった全貌を額に収めつつある。矛盾するけれど、フレームを超えて、異なるパースペクティブをまとめてフレームに収め直したとき、そこに新たな意味の地平を開くことができる。閉じるのではなく開くからこそ先へと続いていく。

追加:すべては作品のため。制作するためにあらゆることをしている。2021.10.5