いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

やりたいことをやれ。でなければ死ぬぞ。

f:id:norioishiwata:20220414111901j:image

やりたいことがある。それをやる。しかし、それがお金になるかどうかの問題がある。お金にならないのだったら諦めるという選択を迫られる。何のためにお金が必要なのか。その問いに答えないまま人は選択する。諦める。お金を稼ぐ。しかし、いろいろやってみたところ、お金は生きるために必要なのであって、欲しいモノを買うためにでもなく、誰かよりもよい暮らしをするためでもない。お金は食べ物を手に入れるとか暮らす家を手に入れるとか、まずは死なないために手に入れる。けれどもいまの社会では初期設定が見えない。多くの場合は生まれたときから家もあるし食べ物もある。親元を離れて暮らしはじめたときの基準が高い。最低ラインを知らないのが恐ろしい。人間も動物だから簡単には死なない。だとしてどうしたら死んでしまうのか、その命について知らない。ぼくも知らない。だから学ぼうとしている。話を戻すと、つまり生きるに足りるお金を設定すれば、お金を目的としない環境をつくれれば、やりたいことはできる。やりたいことをやらないと健康を損なう。やりたいことがない? それは小さなやりたいを解放しないからだ。何事もはじめは小さい。やがて大きくなる。
現代社会ではお金は必要。けれどもそれはツールだ。道具であって目的ではない。いや目的にもなる。けれどもその道は険しい。競争がある。勝ち負けがある。ぼくはたぶん小学生くらいのころに負けている。人間は負けてからが長い。むしろそこからが勝負だろう。自分との。誰かとの比較じゃない。

だから競争から離脱した場所を切り拓いている。なぜなら、勝者よりも敗者の方が多いから。勉強ができる人が優秀な人間なのではない。お金をたくさん稼ぐ人が優秀なのではない。人間に優劣はない。表現に優劣はない。あるのは判断する側の欲望だけだ。そういう領域を開拓している。水は高いところから低いところに流れる。

「なりたいもの」と「やりたいこと」は違う。例えば「お医者さんになりたい」と「人の命を救いたい」や「建築家になりたい」と「家を建てたい」のように。だから「芸術家になりたい」と「表現したい」も違う。
最近は動画を撮りはじめた。それを編集して映画監督の友達に観せた。厳しい意見を貰った。「何がしたいのか分からない。長い。無駄なカットが多い」「究極に短くした方がいい」というアドバイスだった。
動画をYoutubeにアップする予定だった。Youtube月に何十万円も稼ぐ友達のことが頭にあった。俺もヒットしたらいいな。でもそもそも動画をはじめた動機は、いましていることを映像でレポートしたい、という思いだった。友達のアドバイスで、いろんなことを考えるきっかけになった。動画をやりたかったのにYoutuberになろうとしていた。恥ずかしい。思ったことを言ってくれる友達は大切だ。
ぼくはミュージシャンになりたかった。映画監督になりたかった。小説家になりたかった。ぼんやりとアーティストになりたかった。夢は叶っていまは「芸術家です」と自己紹介している。やりたいことをやり続けていたら芸術家になっていた。はじめは恥ずかしかった肩書も、いつの間にか馴染んでいた。それは続けることであって、なるということはほんの通過点でしかなかった。

ぼくは40代も半ばを過ぎて、現代社会の混迷を目の当たりにしている。この時代を目撃している。10年前に原発事故があって、その10年前にはアメリカニューヨークで貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ。そうやって戦争は起きた。思い出す。嘘とも本当とも分からないニュースが目の前に飛び込んできた。
ここ数年はコロナウィルスで、人の動きは抑制されて経済が回らなくなった。そこにロシアとウクライナの戦争が起きた。ガソリンは高騰してリッター170円を超えた。ウクライナが主に生産輸出している小麦の値段が上がった。食生活に影響が出てきた。コロナウィルスの影響で輸入木材が流通しなくなって木材が倍近い値段になった。

友達と話したときのこと。「もし家族を殺されるなら俺は戦争も仕方ないと思う。俺は戦う」と言った。

そんなとき。ぼくは舟を作ろうとしている。27歳のとき、アーティストになると決意したとき、手あたり次第に自分のアートを探求した。芸術とは何か。それを知りたかった。だから40歳を前に世界を旅して自分なりに答えを探した。「芸術」が日本語になったのは明治時代のことで、それ以前は日本にはない言葉だった。アートという言葉が輸入されてその概念が生まれた。アートの語源はラテン語ではアルス。技術を意味する。ギリシャ語ではテクネー。見えるようにするという意味がある。つまり見えないものを見えるようにする技術がアートだ。
スペインでは自作のボートに乗って絵を描く作家に出会い、アーティストの生き方を学んだ。アフリカのザンビアで泥の家を建てて生活は表現になった。芸術とは生きるための技術であり、表現するとは毎日どのように過ごすのか、その生き方そのものをつくることだ、と考えるようになった。それを伝えるためにサバイバルアート、生活芸術、という言葉を作った。日本で表現活動をするためには、表現を続けられる生活環境をつくる必要があると考えた。だから空き家を改修して家賃をゼロにした。家を直す技術は舟をつくるために身につけた。そのために海の近くに引っ越した。2013年に舟に出会っていま2022年だから約10年かかって舟をつくるタイミングが来た。
生活そのものを作ること。それが現代の最前線のアートだと考えている。表現者がどのような観点で社会と関わっているのか。それを根底から表現しないでどうして社会を変えていけるだろうか。それを伝えることがぼくの仕事だ。「やりたいこと」は「やるべきこと」に役割が変わった。自分がしてきたことを残し伝えていきたい。しかし誰でも表現できる現在、わかりやすいものが強い。難しいものは伝わる前にスキップされる。大量の表現が同じ情報として並列される。意味は薄くなり軽くなっていく。でも、これが時代の流れだ。そのなかに自分の伝えたいことを刻んでいく。もうこんなブログは伝えるメディアとしては化石だろう。でも自分の思考を耕して言葉にする家庭菜園ほどのフィールドにはなっている。
作品をつくることを生きている限り続けていきたい。それは息をすることと同じ。自分が自分であるための運動。絵を描くことやオブジェをつくること。文章を書くこと。大地のうえに作品を残すこと。ランドスケープをつくること。旗をつくって炭窯に立てた。自然のサイクルのなかで少しずつ檻之汰鷲のアートが育っている。ぼくたちにしかできないことがある。それを2人で抱えて動き回っている。

やりたいことはいつもできるとは限らない。タイミングがある。瀬戸内海の島を拠点に活動しているプロデューサーからNFTを使った企画の誘いがきた。10年前くらいにその人が廃校で滞在制作をプロデュースしていて行ってみたいとコンタクトしたことがあった。それ以来SNSで繋がっていた。コロナの影響で人の移動がなくなって代わりに動画でミーティングするようになった。それでプロジェクトに誘ってくれ打ち合わせしている。その流れで舟をつくるかもしれない。舟をつくることになったのだけれど期待はしない。予定は未定。でもやる。それだけだ。
生きることが表現で生活を芸術にしてみると、アートは生活のなかに溶けた。ぼくが暮らしている場所では生活のなかに空気のようにアートが存在している。見える人には見えるけれど、見えない人には見えない。それをどこまで見えるようにするのか、できるのか。そのために技術がある。アートがある。アートの原始から現代までをシンプルに表現する。伝わり難い活動を可視化すること。これが課題だ。そのための動画だった。やりたいことがブレてしまっては何をしているのか伝わらない。生きるための芸術とは、死なないための表現でもある。永遠に初心者だろう。