いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

この時代をどう生き延びるのか。生活芸術のススメ。

馬をつくっている。パピエマシェという技法で紙を重ねてつくる。そうやって動物をつくるときそのカタチに驚く。どうしてこんな形が存在するのか。驚くと同時にそのカタチの細部を追っていかないと馬にならないことに驚く。油断すればときに犬にも見えてしまう。だから骨格からつくる。木の枝で骨をつくって新聞紙で肉付けしていく。そうやって凡そのカタチを把握する。平面ではないから前後左右からバランスを整える。問題はいつも顔。顔が難しい。表情以前に目鼻口、3つだけなのに動物によってまったく違う。

馬の顔をある程度つくった。やっと馬に見えるようになった。ホッしたところで、その馬を見る人たちから、犬に見えるとか、ここが違うとか、いろんな意見を貰った。実際、何かが違っていた。自分でそれを理解しても具体的に顔の部位を変更することが難しい。どうやっても自分のやり方では馬の顔を仕上げることができない。こんなときこそ、夫婦での作品作りが役に立つ。

妻チフミにバトンタッチするとすぐに顔を壊してしまった。まったくのはじまりからやり直した。それを見て物事を変えることの難しさを知った。自分には積み上げてきた過程があるから、どうしてもその苦労や努力を捨てることができなかった。だから、いつまでも未練が残って誤った馬の顔をいじっていた。目的は、馬の顔をつくることだ。

たくさんのことに当て嵌まるように思う。変わることの難しさ。自分自身が変われないのも同じことだ。社会が急には変われないのも馬の顔と同じことだ。

去年から左足首が曲がらなくなって、これは交通事故の後遺症だと思うのだけれど、それでも回復したくてランニングしていた。その姿を見たチフミが、左足を庇って走っていると指摘した。多少はそういう姿勢になっているとは分かっていた。言われてみれば、まず正しい姿勢で走ることからはじめた方がいいと思った。

今現在、芸術家と集落支援員という2つの仕事をしている。芸術家としては、とにかく作品をつくること。するべきことは、表現したものを絵やオブジェや展示として社会に提示することだと考えている。こうやって文章を書くのは、この2つの活動がどこへ向かっていくのか状況を把握するためだ。もちろん誰かに何かが伝わればいいとも考えるけれども、まずは自分がいる場所を把握したい。ぼくたちは途轍もなく複雑な社会を生きている。「ぼくたちは社会に参加していて生きている」こうやって文章で書けば、それなりに伝わるだろうけれど、実際に自分の納得するような仕方でそれを実行するのは、馬の顔よりはるかに難しい作業だと言える。だから迷子にならないためにも定期的に文章を書いている。

もうひとつの仕事、集落支援員とは、限界集落に暮らして、地域のお年寄りのサポートやこの地域がどうなっていくのか観察しながら、方向性をつけていくという仕事だと考えている。限界集落という現象もここ数年のことなので具体的な方針があるわけでもない。この地域の場合は「桃源郷をつくる」という目標で桜や梅を植樹して、耕作放棄地を復活させて菜の花を咲かせようとしている。ぼくは、この集落支援員の活動をアートとして位置付けたいとも考えている。これについては12月13日(日)に茨城県の県庁でのイベント「アートミーティング」で発表する予定。

妻と二人でつくった廃墟の家には、地域の人が立ち寄っていく。世間話をして、採れた野菜やお米を持ってきてくれる。土地を貸してくれている豊田澄子さんは、料理のやり方などもチフミに教えてくれている。この場所ができたことで楽しくなって若返ったと言ってくれる。全体としてぼくたち夫婦のことを心配してくれている。芸術などで生きていけるのだろうか、と。

限界集落と言っても、完全にゼロになる地域は少ないと想像する。むしろゼロになってしまえば、そう簡単に人が住みつかなくなる。その前に移り住む人が現れるといい。ある本には、おおよそ3代で入れ替わる地域が多いと書いてあった。約100年。それぐらいの周期で飢饉や戦争など、どうにもならない災害が起きるらしい。このコロナ時代も静かだけれど大きな災害のひとつだと思う。この時代をどう生き延びるのか、というのは大きなトピックになる。

生き延びる技術とは直観だと思う。直観とは「社会に流通している言語や常識とは別の自分のなかにある感覚が導き出すイメージ」というようなことを思想家の上妻世海さんが話していた。ぼくは、芸術を仕事にしたいと考えて10年近く、真剣に取り組んできた。絵をつくることだけではなく、家も作った方がいい、文章を書いた方がいい、生活を作った方がいい、と思うがままに取り組んできた。それはお金になるとか、芸術だ、とかそういう枠組みは無視して、やりたいと感じる方向に進んできた。

そうやって「表現すること」「生きること」この2つのテーマを試みている。この活動はお金にならないことも多く含んでいる。けれども、その中の何かが必要に応じて収入へと結びついている。お金だけでなく、食料や土地、生活に必要なインフラへと繋がっている。この試みを伝えるために芸術という形式を選択している。つまり「生きること」について「表現」を通じて芸術家という立場で伝えようとしている。それを「生活芸術」と呼んでいる。たとえば料理人にこの言葉を差し出したとき、そのひとはきっと料理のことを想像するだろう。大工さんがこの言葉を知ったとき、きっと家を建てることを想像するだろう。ぼくは誰もが職業から生活からライフスタイルまでをつくることができる、そういう表現の仕方があると提言したい。

それを可能にするのが「つくる」という行為だ。馬のオブジェをつくるように生活をつくることができる。ぼくが馬の顔をつくった冒頭のエピソードを想い出して欲しい。過去から積み上げられてきた生活習慣は間違っている。少なくとも君の理想ではない。そのとき君は、既存の生活を壊して組み立て直すことができる。社会も同じだ。すべての人の生活や社会を変える必要はなくて、周りはそのままにしておいて、自分の生活や社会だけを組み替えればいい。

もし芸術家が芸術のために創作を続けようとしたとき、芸術という領域が積み上げてきた成果を捨てることが出来ず膠着することになる。例えば日本画とか油絵とか木彫とかブロンズとか。その凝固していくもののなかで何かを融解していくような表現も生まれるかもしれない。もちろん可能性はどこにでも開くことはできる。だからこそ、ぼくは生活のなかに芸術をインストールしてみせたい。誰もが自分の人生を作ることができるアート。

生活と芸術、この2つは、とても近いのだけれど、表と裏のようにそれがひとつになることはない。まるで男と女のように。だからこの道を模索して表現を続けるなかに、それが奇跡的に一致することがある。そういう魔法がアートにはあると信じている。ときに簡単なことも複雑に、簡単なことも複雑になるような地点が現れることがある。それは空間、言葉、モノ、ヒト、それらが溶け合ったところに起こる現象、それはアートにしか表すことができない。