いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

表現を続ける理由。

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表現を続ける理由は、有名になりたいとかお金をたくさん稼ぎたいからじゃない。いや、はじめはそんな動機だったのかもしれない。でもいまは、それよりも、もっと、ぼくが見ている世界と、実際の社会、ぼくが見ている世界と君が見ている世界の違い、もしくは、ぼくが理想とするライフスタイルが社会が良しとする方向と一致しなくて、そのギャップを埋めるために表現をしている。ずっとその違和感に悩まされてきた。いまも足掻いている。現実と理想の間にある溝を表現で埋めようとしている。この想いを伝えるために。

この想いをコトバにしなければ、流されてしまう。黙ったまま、その想いはなかったことになる。その溝をなかったことにして生きていくことになる。表現するとは、流されることに抵抗するチカラなんだと思う。ぼくはこの溝をカタチにしてみせたい。

それがぼくにとっての芸術だ。ぼくにとってそのひとつは音楽であり、そのひとつは絵画であり、そのひとつは文学であり、それらの枠組みから零れ落ちるさまざまな断片も含めて全体をぼくは「アート/芸術」として表現している。だからぼくは芸術にたどり着いたのだと思う。履歴書的に語れば、そのどれも商業的に成立しなかった。はじめは音楽だった。バンドを組んで曲をつくりライブハウスのステージに立って、やがで人気が出てレコード会社と契約してミュージシャンになる、そんな進路は切り拓かれなかった。その次は小説だった。空想の世界をコトバで描き本に綴じる。そこに描かれた世界は他者が理解できるような代物ではなかった。そして絵を描いた。かろうじてそれは芸術と呼ばれる枠組みに収まっている。おかげでぼくは芸術家という職業に就いている。ところが音楽も文学もぼくは捨てていない。いまもしぶとく握り続けている。

サバイバルだ。この活動全体を続けていくにはお金が必要だ。妻と犬と暮らしていくだけの経済的な稼ぎは確保したい。この活動と呼ぶ、得体の知れない運動を続けたい。これがぼく自身の呼吸であり健康そのもので生きるということだから。

幸いなことに現時点では、絵画と文学活動の交差するところに切り拓かれた「生活芸術」というコンセプトが仕事になって食っていくことができている。

今読んでいる「ルクレジオ、文学と書物へのアートを語る」に、多くの作家たちがそれに従事することでは充分に暮らしていけないことが書いてある。マラルメは英語教師だし、サルトルも哲学教師、セリーヌアンドレブルトンは医師だった。カフカは役人だった。歴史に名を残すような作家たちでさえ、それだけで生活することは叶わなかった。

しかし見方を変えれば、彼ら先輩たちは、その表現を売るための道具にしなかったと受け取ることもできる。叶わなかったのではなく、そうしなかった、と。いつの時代にも流行はあってヒットする表現がある。いまの時代も同じだ。

それなのにぼくは舟を作っている。舟を作る自由を手に入れるために10年以上かけてライフスタイルを構築して、やっとその自由を手に入れた。舟はエクソダスの象徴だ。脱出。今ここから抜け出す道具。生活が便利になるにつれて人々の暮らしは海から離れていった。川との暮らし、海との暮らし、それらは失われ、人々は釣りか海水浴ぐらいしか海に近づかない。

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見ないということは、その存在がその世界のなかに存在していないに等しい。見ないということは見えないことに等しい。見えないことはそれは君のなかに存在していないということだ。

いまは情報化社会で、目の前にあることよりも、それ以外の情報の方が多い。その量はすでにダムは決壊して濁流となってぼくらの日々を飲み込んでいる。

朝起きて夜、寝るまでその自由を手に入れることの難しさを誰もコトバにしない。本が何冊売れたとか、絵が幾らで売れたとか、そんなことよりも、どうやって自由に生きていくのか。ぼくはその抜け道づくりに専心している。

草刈りをして道をつくる。その道は正真正銘、自分が作った道だ。ぼく以外の誰もそこに道を通したりしない。表現するとは、そういうことだと思う。この草刈りしてつくる道は、景色をつくるという表現だ。決壊して流れる情報に飲み込まれずに、目の前に景色をつくること。自分の足で大地に立っている。その大地から生えた身体の目が捉える景色。それが窓だとして、その枠の向こうが気持ちいい景色になるように、日々自分の環境を構築する表現。それを生きるための芸術と呼んでいる。それを遺すためにぼくは表現を続けている。それは人間に普遍的に必要な思考だから。