いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

働くことは走ること

北海道から帰ってくると、炭焼きの師匠から電話があった。

「家の前の木を切ったからいつ取りに来れる?」と言われ

「明日行けます」と返事した。

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翌日に行ってみると、大量の木が切り揃え並んでいた。驚いた。庭木を切った程度の話しかと思っていた。72歳の師匠はひとりで、木を伐って枝を落とし、運びやすい場所に並べていたのだ。

年末に炭焼きをして、火入れを担当した。ひとりでやるのは初めてだった。よく燃やしておけと言われて、よく燃やしていたが、様子を見に来た師匠に「そんなんじゃ燃えが足りない」と言われた。師匠はブロアーを持ってきて風を送って窯を燃やした。燃やすの次元が違っていた。

師匠は、よく燃やしておけと言って再び居なくなったので、同じようにブロアーで燃やし続けた。が、翌日師匠に「これじゃ真ん中しか燃えてないな、失敗だ」と言われてしまった。かなりショックで久しぶりに凹んだ。

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それでも窯の蓋をして、炭焼きの工程を進めてみたものの、煙が少なくて頼りない感じで、結局、火を止めることになった。師匠に失敗の烙印を押されてしまった。

 

そんな失敗を踏まえて師匠は仕事とはこういうものだと教えてくれているようだった。ここには「労働の哲学」が詰まっている。

炭焼きの材料は一回の伐採で二回分以上つくる。炭になる木をどこから調達するのか。その場所選びからはじまる。生えてる木の種類も配慮する。今回はカシがメインだった。最高級の材料だ。木を倒したら、玉切りにする。枝を落として燃し木をつくる。玉切りにした丸太は運びやすい場所に積んでおく。

言うは容易いけれど、実行するのは重労働だ。重労働だから、無駄なエネルギーは消費しないロケーション選びが重要になる。作業も疲れないようにチカラを抜いてやる。チカラを抜いてチカラを出すのだから、もはや労働の奥義とも言える。

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炭焼きをスポーツだと考えている。部活。生活できるほどのお金にはならないから。一回窯に入るだけ焼いても二万円程度。それを3人で二週間くらいかけてやる。もちろん、ひとりで毎日朝から夕方までやれば、生計も立つのかもしれない。しかしそれより大切なことがここにある。

 

木を運んでいるときに思い出したコトバがある。アフリカで家を建てたときのことだ。

"Work is move. It is run(仕事は動き、それは走るように)"と言われた。

このコトバが通用するのは身体を動かす仕事に限定される。しかしそういう仕事は、お金にならない労働になっている。農業、林業、漁業、これら一次産業は、自然に働きかけて、人間が生きるための資源を市場に提供する仕事ながら、厳しい労働として位置づけられてきた。しかしこれらの仕事がなければぼくらの生活は成り立たない。それなのに、これらの仕事の地位は低くく扱われている。

ぼくの世代は、大学に入っていい会社に就職することが成功とされてきた。医者や弁護士、上場企業に入るために学校で学ぶようだった。林業や漁業や農業を目指すことは、推奨されなかった。ぼくは大学に行ったけれど、やりたいことは決まっていなかった。音楽が好きというだけでバンドをやったりクラブやライブハウスで遊んでいた。だから、バイトは週末やりたくなかった。楽しいイベントを見逃したくなかった。結果できる仕事は日雇いの建築業だった。当時はツライ気分だったし、どうして自分はこういう仕事しかできないのか呪ったりもしたが、いまになってみると、消去法だったとしても、自分には身体を使う労働が合っていたのかもしれない。いまは好き好んで炭焼きをやっている。

 

仕事というものを見渡してみると「いい仕事」と「よくない仕事」がある。社会の構造自体が優劣に分けられて、仕事も人間も優劣で分類されている。「いい仕事」に就いた人は人生の勝者で楽ができる、と信じられている。安心して死ぬことができるとも信仰されている。日本の社会はこんなものを標榜してきた。

炭焼きは底辺の仕事だった。山を持たない炭焼きさんは、山主から木を買って炭をつくる。山の木の値段は、売り上げの50%だったとも言われている。いまでは山の木を財産だと考える人も少なくなっている。ほんの二、三十年で価値観が変わってしまった。

常識も答えも進むべき道を示す標識も刻々と書き換えられている。数十年前の常識は非常識になっている。社会や常識というのは、遅れて現れる兆候でしかない。たくさんの人がトライ&エラーをした結果でしかない。つまり時代の最前線を生きる自分自身がトライ&エラーを繰り返して、次の世代への標識を打ち立てていくことだ。

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林業をやっている友達が教えてくれたことがある。

「今は杉や檜よりも、広葉樹が人気あるんだ。そうすると、みんなが広葉樹を植える。でもそれは五十年前の人たちがやったことの結果でしかない。つまり当時、広葉樹を植えるなんてバカのやることで圧倒的な少数だった。もしくは放置した山が広葉樹になっただけ。言いたいのは、みんなが広葉樹を植えてるなら俺は杉や檜を植える。そしたら五十年後、俺は死んでるけど、俺に繋がる誰かはお金を稼げるんだ」

炭焼きの師匠は「遊んでばかりしてあまり仕事しなかったなあ。山登りにサッカー、マラソン、夢中で遊んでたよ」と言う。どう生きるのか。その道は自分だけが知っている。