炭窯に火をつけた。まずは入口の土を焼き固める。炭窯づくりをしているのは炭を焼いて売るためというよりも、炭をつくるとはどういうことなのか、それを知るためにやっている。お金に換算したらとてもやってられない。それでもやる理由は、人類が30万年前から使っている炭というモノを体験するために。炭をつくった痕跡は1万年前だという。それから昭和の戦後までは熱源の主役だった。第二次大戦中は石炭と共に今のガソリンや電気のように社会を動かすエネルギーだった。
炭は人間が発見した便利だった。木のままでは重いし腐るし、燃やしたとき煙が出る。炭は軽く長期保存できて、しかも煙があまり出ない。たぶん人類が発見した最初期の化学変化でもある。
炭などなくても生きている時代。それでも、太古から続いてきた人間の営みを体験してみたかった。炭には固い木が適している。ナラやカシ。それは原生林と呼ばれる自然林に生えている。自然林の反対は、造営林。杉やヒノキを植樹している。
知るというコトは、見えることへの解像度を高める。今まで何もないように見えていた景色に意味や名前が浮かぶようになる。炭焼きを体験した後では、ちょっとした林でもつい観察するようになった。
炭をつくるのは、火を焚くことでもある。土で窯をつくる。水で土を練る。風のチカラを借りて火を窯のなかに送り込む。
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炭焼きの原理は、木を空気中で燃やすと、木の中の炭素と空気が結合して二酸化炭素に変わり、煙が立って直ぐに燃え尽きてしまいます。 一方、生木を空気が入らない蒸し焼き状態にすると酸素と炭素が結合せずに水蒸気やガス分だけが抜けて炭素分だけが残ります。 見た目の形は木に見えますが炭素のカタマリとなったものが『炭』です。
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昨日、炭窯の入り口で火を焚いて眺めた。何のためにしているのか。炭を焼くことが目的じゃない。ぼくは「生きる」ということを解き明かしたい。そういう目的がある。誰かに依頼されている訳じゃない。自分でみつけてしまった。生涯賭けて取り組むテーマを。便宜上していることを「アート」に位置付けている。ほんとうはアートでもない。仕事でもない。ぼくは「生きる」を探求している。いくら言葉を連ねても記述しきれない。自然を大切にとか、田舎暮らしをお勧めするとか、そんなことよりも、もっと人間自身に関わる重要事項として伝えなければならないこと、明かさなければならないことがあるように感じている。
この衝動を最も言い当てているのが、哲学者ドゥルーズが使う「逃走線」という言葉。まさに。都市か田舎か、という議論をするのではなく、その対極から逃走するラインを導く。自然と社会と2項対立の構図ではなく、そのどちらとも並走するラインを見出す。
炭を焼くという行為。その原始的な営みを体験することは、生きることへの逃走でもある。お金に換算して働いてしまえば、逃走する思索は捕獲され労働へと変わる。労働になれば、それは経済活動や効率化を目指して既存の枠にハマった動きをする。炭を焼ける環境とは、木があること。火を焚けること。土があること。多くの日本人は、そういう環境に暮らしていない。だからこそ、ここに逃走する余白がある。ここには社会よりも自然がある。
杣人(きこり)の友人が教えてくれた。
「戦後、みんなが杉やヒノキを植えた。だから原生林が希少な存在になって価値が出た。するとみんなが原生林を再生するようになった。だからぼくは、杉やヒノキを植林している。常に時代の反対をすれば、生きていくことができる」
ガイドブックを片手に炭を焼いても意味がない。誰かのやり方を参照して答え合わせをしても、これは学習じゃない。誰かが描いた線をなぞる意味はない。逃走線は、未だつくられていない道を切り拓くこと。生きることはアートではない。炭焼きはアートではない。だからそこに言葉を流し込んで道をつくる。導線をつくる。相手を追い込むための言葉ではなく、相手を逃がすための言葉。自由へと誘う言葉として。
6月に炭焼きをして失敗した。窯が崩れてしまった。そのときに半分は炭で半分は木のままという、出来損ないの物が生まれた。もちろん商品にならない。ところが、薪ストーブには、驚くほど適した代物。半分は燃えて半分は熾火になる。誰の役にも立たないと感じられるものですら重宝される。そういう独自の地平(ランド)を持つこと。良いと悪いの谷間に沈んで消えていく常識や価値観。その深層に沈殿したものから掬い出す。やがて鉱物化する自分の価値基準。自分自身のなかに起こる化学変化。炭焼きという経験はキロ幾らとかの金額とは別のカタチで別のタイミングで結晶化する。そのために、敢えて、安易に提示される価値を受け取らずに先延ばしにする。意図を超えたところへ種を撒く。
収穫は春。それまで積み重ねる日々。仮に腐ったとしても、自然現象には発酵という贅沢がある。