いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

1枚の紙を折り畳んだように重なる地点に。

井戸水を汲み上げた水道が凍った。12月15日。朝5時に確認。今年の春から手作りの生活環境に暮らしている。水が凍るとは予想していたけど、思いのほか早かった。たぶんお昼頃には溶けるだろう。冬がやってきた。

週末は「アート・ミーティング」という活動の報告会があった。写真家・美術家の松本美枝子さんが中心になって開催されている。ぼくはいつものように「生活をつくる」という活動について報告した。限界集落、空き家、耕作放棄地、廃棄物。役に立たないものをコラージュして生活そのものをつくってきた。人が要らないものを選択し続けた結果、土地も家もタダ。おまけに集落支援員という仕事も手に入った。水も(凍ったけど)井戸から汲めるし、薪で火を焚いているから電気がなくて死ぬことはない。ぼくはこの活動を報告するとき「みんなもできますよ!」と心の中で叫んでいる。いや、実際にそう言っている。けれども、いまの時代の暮らしとは、ぼくが考えているモノとはかけ離れている。

イベントの中で興味深かったひと幕は、現代アートを手掛ける中崎透さんと、中国文学の教授、西野先生が「活動を残していくこと」というテーマで対談したときだった。西野先生は伝統芸能の保存について語り、中崎さんはアートプロジェクトについて語った。アートプロジェクトは「展示という期間の制限があって、万が一残ったとしても、制作者が関わり続けることはできないから、残らない方が良いことも多々ある(中崎さん)」「できるだけ間口を広くして多くの人が関わることでどのように残していくか(西野先生)」

この違いについて中崎さんが「そもそもアートという言葉の定義が曖昧過ぎて、活動を残していくことをこのように語るのは難しい」と言った。ぼくは中崎さんのこの言葉から対話が広がってくことを期待したけれど、時間切れで次のプログラムに移ってしまった。

対談のあと、二人に話しかけた。中崎さんのプロジェクト作品は、架空のテーマを強引に立ち上げていく。参加者を巻き込むけれども、そもそも中崎さんの意図はズレているから、ズレがズレを呼んで予想外のモノが出来上がる。本来は存在していないプロジェクトがあるフリをしている。フリをしているうちに参加者たちのなかでそれは実在していく。

一方で、西野先生が語る伝統芸能は歴史の中に根差している。それは木があるように確かに存在している。けれども時代の移り変わりのなかで存在自体が難しくなっている。それが残る環境を整えてあげなければ、消えてしまうかもしれない。

このふたつの違いからもっと話を聞きたかった。と伝えた。西野先生が「どちらにしても違いはあっても大きくは同じことです」と言ったのが印象てきだった。

ぼくが三人目の登壇者だったら、この2つを繋げて自分を説明した。ぼくは「生活芸術」という活動で生活と芸術を繋ぎ合わせてコラージュしている。それは現実世界と表現空間を折り重ねている。紙を折って畳んだように生活と芸術が重なっている状態。ある意味で生活芸術とは伝統芸能のようで、人類が続けてきた営みを保存する活動でもある。またある意味では、未だ存在しない架空のライフスタイルをつくることでもある。導き出されるのは「どのように続けていくか」。

昨晩、ぼくの水道は凍ったけれど、GOOGLEのサーバーがダウンして、生活インフラをGOOGLEに接続している人たちは、暖房が動かなくなって凍え死ぬ思いをしたらしい。それだけの幅がある時代に生きている。どちらも同じひとつのライフスタイルだ。

生活芸術という表現をこれからも伝えていくけれども、やり方を変えようとも思った。今までは生活のなかに芸術を表現してきた。だから美術館やギャラリーではない限界集落に理想の生活空間をつくってきた。それはぼくの架空のプロジェクトだ。「理想の生活」というテーマに対してぼくが描いた理想。その答えは人の数だけある。アートは問いなのかもしれない。ひとはアートに向き合うとき答えではなく問いを楽しむのかもしれない。

だから、作品というモノの中に「生活」をメッセージとして織り込みたい。ぼくは何も語らずとも作品がそれ以上のことを語る。そいうモノづくりを目指したくなった。これはプロジェクトを大きくすることでもなく、参加者を募ることでもなく、作品という小さなモノにすべてを託す。目の前に生み出される小宇宙をどこまでも遠くへと届ける試み。質量や重力から解放された軽さへ。さらなる空想世界へ。

人間が人間自身を美しくする。つまり自分自身を創る。これ以上に世界を美しくする表現はない。その想いは変わらない。ぼくは自分の世界を、移動させたり、繋ぎ合わせたり、折り畳んだり、自在に作ることができるようになった。その魔法をアート作品のなかに封じ込める創作へ向かう。やっぱりこの想いを伝えていきたい。