いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

日々の出来事がパズルのピースのようにハマって見えた転換点

9月に久しぶりの個展をやった。春頃から準備して作品を作ってそれらを並べて展示して、これまでのクリエイティブを放出した。日々の取り組みが作品に反映されるから、個展のたびに展示内容は変わっていく。展示のために制作している訳ではないから、展示が決まってから制作は展示に向けて集中していく。展示は転換点になる。

展示が終わって、すぐに手をつけなければならないプロジェクトがあった。ひとつは友人で音楽家の松坂大佑のアルバムデザイン。アルバムの表紙、ライナーノーツ、限定盤までを手掛けた。

松坂くんとのコラボレーションは彼の主催するフェスOff-Toneのフライヤーデザインから始まっている。毎回彼のキーワードから作品をつくって、それをフライヤーにした。松坂家には、開催した数だけのぼくと妻の作品が飾ってある。それでもこうやって仕事をオファーしてくるのは有り難い。ぼくはぼくを知ってくれている人に生かされている。

表紙絵、20ページの冊子、紹介原稿、木製パネルと額にシルクスクリーン印刷した限定5個のボックスを仕上げた。あとは修正作業が少しあるだけになった。

それでやっと随分待たせてしまったプロジェクトに取り掛かることができた。幼稚園の壁画を描く仕事だ。これも数ヶ月前に依頼されていたが9月の終わりにならないと、手がつけられないと予想できていたから、そういうスケジュールにしていた。やると返事したものの、何メートルもある壁に絵を描くのははじめてだし、どうやってクリアしようか考えてもいた。

やったことがないことは経験者に相談するに限る。頭の中に高円寺で壁画プロジェクトを手掛けるプロデューサーの大黒くんのことがイメージできていた。期日が迫って電話で相談した。技術指導もしくはコンサルタントとして予算に組み込むつもりでいた。ところが大黒くんは「連絡くれてありがとう。いつも気にしていたんだ」と言ってくれた。「壁画制作に必要なノウハウを教えてほしい。仕事として依頼するので」と言うと

「ぼくが知っていることが役に立つならお金は要らない。なんなら物々交換の方がいいな。モノじゃなくても技術とか何か交換しようよ。しなくてもいいんだ。最近は、100万円以下の仕事はそうしているんだ。その方がお互い楽だから」そう話す大黒くんが、とんでもない偉人に感じてしまった。大黒くんは、ぼくが知りたかったことをすべて教えてくれ、何か分からないことあればいつでも連絡して、と言った。

新しい経済に対する態度を表明していると思った。仕事でお金を稼ぐのであれば、お金が取れそうな項目に金額をつけて、見積の値段を上げていく。タダで手に入っても値段に入れる。そういう仕事の仕方を代理店で働いたとき教えられた。けれども大黒くんのやり方は、まったく違う。ちょっと驚いたし、自分も少し取り入れてみたいと思った。だから、幼稚園の壁画はペンキ代の実費プラス10万円の作業代にした。

幼稚園の壁の絵の題材の動物に関してリサーチしているとき、地球の環境変化について"tipping point"というコトバが連呼されて「転換点」が頭にインプットされた。

桃源郷づくりでお世話になっている人に本を出版した報告に行った。絵も見てもらおうと、景色を作って絵にした2枚を持参した。本を渡しに行ったのだけれど、絵を見せると上手くなったな、と褒めてくれた。蓮の絵を見て、俺も死ぬときはこういう風にお迎えが来るのかもな、と言った。絵をいろんな角度から眺めて、結局2枚とも買ってくれた。展示では売れなくて妻チフミが自信がなくなるなあ、と言っていた絵だった。

絵はひとつしかないから、それを気に入ってくれるひとりと巡り会ればいい。そういう巡り合わせの奇跡を起こす絵がいい絵なんだと思った。

日々の出来事がパズルのピースのようにハマって展開していく。直観に従って動く。それが予想外の展開を当たり前のように起こしてくれる。

生活の基盤は作ったから、作品をもう少し売れるようにしたいと考えていた。考えることと行動が一致すると、人生は展開していくのかもしれない。

ぼくたち夫婦にとって作品をつくることは、絵にしろオブジェにしろ、空想世界に封じ込めるのではなく、現実の世界を作ってその一部を作品にすることだ。だから作品は現実の一部でもある。その作品が売れれば現実をつくり続けることができる。そうやって目の前の世界を美しくしている。

幼稚園の壁画制作がはじまるまで、少し時間ができたので、壁画プロジェクトの作品も制作してそれも売ってみたい。そうやって現実と作品がリンクしていることを知ってもらいたい。檻之汰鷲とは、そういう作家だということを。