いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きる つくる 働く。

ライフスタイルをつくりたかった。いまの社会に自分がこれだと思える働き方がなかった。会社で働いてみても何か違っていた。我慢できない自分が悪いとも考えてみた。でも怠けたい訳ではなかった。働くということの意味が分からなかった。だから自分に正直にやりたいことを自分にやらせてみることにした。

やりたいことは自分が死に直面してはじめて現れた。交通事故に遭って、当時の彼女の家に転がり込んでいて、親友が死んで、無職で住所もないような状態になって、どうにもならない状態になって、やっと自分のやりたいことと向き合うことができた。ぼくは表現したかった。ずっと幼いときからあった思いだった。それは知っていた。でも成長するうちに、周りの目を気にして、やらないうちにその思いはずっと心の奥に潜っていった。

ぼくの人生がはじまったのは28歳だった。それまではずっと眠っていた。眠りながら夢を貪っていた。でもその夢食いの時期は、いまの自分をつくるための土台になっている。無駄なことはない。

ぼくは本を書こうとしている。これは3冊目。正確には4冊目。こういうところにぼくの弱さが潜んでいる。こうやって損をしている。ぼくは1冊の傑作小説を書いた。本音はそう言いたいのに謙遜する。ここでは正直に書く。ところがほとんど世の中に理解されなかった。伝える努力もしなかった。結局、書くことが目的だったんだと思う。傑作だと言い切るのは、信頼できる数人がそう評価してくれたから。ぼくは、あの本を書いたから今がある。してきたことの価値は、それを続けているからこそ今見ることができる。

世の中に自分に適した職業がなかった。そもそもはミュージシャンになりたかった。それから漫画家、映画監督、画家。すぐに才能がないと思ってしまった。誰にも褒められないから。それはそうだ。何も歌ってなければカメラも回さず、ペンも握らないのだから。そうやって仮死状態になっていた夢は、死に近づいていく向こう側で鏡のようにすっと姿を現した。28歳で、自分の夢に向き合うことができた。ぼくは死に感謝する。死は悪ではない。死は生だ。恐れない。生きると死ぬは一体だ。どうして対極を遠ざけてしまうのか。男と女、昼と夜。貧と豊。物事を二つの極に分けることでは何もはじまらない。絵が下手だったとして、どうしてそれが絵を描かない理由になるのだろうか。走るのが遅かったとして、どうして走らない理由になるのだろうか。歌が下手だからといって、歌わない理由になるのだろうか。

この文章は、存在しない競争やゲームに巻き込まれて諦めてしまったぼくの友達に捧げたい。ぼくのようにやりたいことがあったのに誰かと比較して自分にやる理由がないと諦めてしまった君たちに贈りたい。なんのためにぼくたちは生きるのか。働くのか。そしてつくるのか。結論を先に言えば、答えなんてない。やらなければ何も知ることも見ることもできない。もし、したいことに自分が踏み出せば、今までとは違う景色が見えるようになる。それだけははっきりしている。仕事にならなくても、生き甲斐にはなる。だとしてその景色は、車窓から眺める景色のように映ろうばかりだ。でも自分で選んだ道を過ぎていく景色は美しい。ひとつひとつに答えはなくても、風が吹いたり雨が降ったり、まぶしい太陽に目をほそめたり、夜の星を眺めたりするのは、それだけで生きているという実感がある。自然は分け隔てなく誰のところにもその恵みを与えてくれる。

できるだけ自分が体験したこと考えたことを書きたい。伝聞や遠くに見える社会の輪郭を描くつもりはない。ぼくに見えている小さな世界を描写したい。その小さな世界こそひとりひとりが生きているリアルな世界だ。

ぼくは茨城県の山奥の廃墟を改修して家賃をゼロ円で生きている。妻と二人で絵を描いて、それを売って生活している。井戸から水を引き、火を焚いて薪風呂に入っている。少しの野菜を育てている。地域支援員という仕事を得て、朝から晩まで自分たちで考えた一日をつくり生活している。28歳から18年が経った46歳の今、ぼくはライフスタイルをつくって生きている。表現することを仕事とし、自分がやりたいと思う仕事をつくった。

すべての人がそうするべきとは思わない。けれども、自分がしていることをこうやって本にして記しておくことは、ぼくのような誰かの役に立つと信じている。いつだってそうだ。自分が自分を信じることからはじまる。そうやって自分の思いを伝えたとき、世界は少しだけぼくの味方になってくれる。生きるとは複雑さと単純さの狭間を泳いでいくようなことだ。