いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

想像を創造に変える、表現するという仕事。

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東京の友人と久しぶりに交流した。
先輩は
「もうあの世界に突入しているんだよね。アニメとか漫画とか映画とかのSFのあの世界に。AKIRAとかガンダムとかナウシカのね。ノリオくんはどっち?もう気づいているよね?」
と話した。

楽家である先輩はコロナウィルスによって仕事がなくなった。元々、ミュージシャンとして知名度があったのでお金を貰う以外で音楽を作ることはなかった。しかしコロナによって仕事がなくなった。それでも先輩は、お金にならなくても音楽を作ることにした。それしかできることがないとはっきり分かった、そう話してくれた。

誰に頼まれることもなくつくる音楽は、予想もないオファーを受けることになった。つまり、作りたいものをつくった結果、それが何かしらかの形でお金を生んでいるという。それは想像を超えた世界で、先輩はこれまでにない自由な生き方を手に入れた。

「アフターコロナ、ウィズコロナは次の時代だよ。俺は以前よりずっとハッピーになった。目が覚めた。やっとアーティストになったんだ」と言った。

「持つ者と持たざる者に分かれているんだ。アンダーグランドはどんどん深く潜って、お金を持つ人はもっと高みを目指す。先月にクラブでイベントがあってさ、マスクをしていったら、満員の箱で誰もマスクもしないで汗びっしょりで踊っているんだよ。でマスクしている奴はみんなから白い目で見られて。慌てて外すんだ。お前はどっち側なんだ?って感じでさ、普通と真逆の世界がパラレルに存在しているんだ」

「ノリオくんは大丈夫だよ。ボブ・ディランの言葉だけどさ、朝起きて寝るまで好きなことをしていられる人間が成功者だよ。そう言ってるんだ。どう?大丈夫でしょ」

昨日、イベントで自分のことを講義した。企業に勤める人に現代アートを知ってもらう仕事だ。「生活をつくることがアートだ」というのがぼくの主張なのだけれど、妻は「アートじゃなくてもよくない?」と言う。アートじゃなくてもいい。ほんとうにそうだ。けれども自分の思いを伝えるとき、それが何なのか、立場を表明することで伝わりやすくなる。何よりアートを信じてアートを自分の仕事にしたことで、社会はありのままのぼくを受け入れてくれた。だから、ぼくはアートを入口にした世界の拡張を企んでいる。

確かに「生活をつくることがアート」はゴールじゃない。これは手段だ。講義のなかでこういう言葉が出てきた。

「ぼくがしていることは現代アートという文脈ではアートではないです。家を直したり、花や木を植えたり、畑をやったり水を手に入れたり。これは「生きる」という活動だと思うんです。もしアートが人生と何も関係がないのだとしたら、それはとても残念なことです。だとしても、目の前の現実を作り変えることをアートにしたいんです。絵や彫刻をつくるように自分の生活をつくる。ひとりひとりが理想の生活をつくるようになったとき、社会はずっと生きやすい場所になるんじゃないでしょうか。ぼくたちは今という時代の最先端を生きている。すべての人が時間の最前線にいる。常に未来を更新している。ぼくが想像する未来、君が想像する未来、どれもが最先端にある。過去と照らし合わせて未来を修正するなんて必要ないんです。むしろ、それぞれが想像する未来のためにいまを作り変えていくんです。それが想像を創造に変える表現するという仕事なんです」

この話をしてから、先輩みたないな話をしているなと思った。

街から自分の生活空間に戻って感じた。ぼくは想像の世界に生きている。空想した生活を描き、その空間に生きている。だとすれば、ぼくはその方法を伝えることができる。夢の中に生きる方法を。先輩の言葉を借りるなら、向こう側へ行く鍵はこれだ。

こうなったらいいとひとつの夢をイメージする。そのイメージに向かって日々コツコツと行動する。あるとき、その夢が現実になっていることに気が付く。注意するべきは夢はあっさり叶う。しかもジワジワと。だから夢と現実の転換点はない。好きだった人と一緒になるのも、やりたかった仕事に就くのも、住みたかった家に暮らすのも。どれも手に入った途端に現実になる。そこで止まってはいけない。現実に暮らしてはいけない。お金のために留まってはいけない。夢をお金と交換したら現実に繋ぎ止められてしまう。あらゆるオファーの先へと進む。誰にも頼まれない自分のイメージに従って生きる世界へと。現実に飲み込まれる前にまた次の夢を見る。そうやって夢から夢へと旅を続ければ、あの世界に生きることができる。

これが正しいとか、そうするべきという話でもない。いくつもある世界のひとつ。夢の世界は多ければ多いほど自由になれる。選ぶのは自分だ。