いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

どこへ向かうのか。行き先を知るために言葉に表す。

「わたしはなるべく世間から遠ざかるように暮らしているのだが、それでも私なりにいろいろ感じることがあり、世間の人に聞いてほしいと思うこともある」

「春宵十話」岡潔

本が好きだ。いつも何か読んでいる本が手元にあって、機会があれば興味ある本をみつけて買ってくる。今日手に入れたのが数学者・岡潔の本。本は、紙に文字が書いてあって、束になってて、それだけなのにページを捲るごとに理解が深まっていく。本という構造が文字を素材に建築のように空間を立ち上げ、その世界に浸ることもできるようになる。

ひとつ問題なのは、有名な人の言葉はスッと入ってくるけど、無名な人の言葉だとそう容易くない。岡潔のこの本はエッセイ。彼が無名だったとして、ぼくはこれを関心して読むだろうか。仮に無名な人だとしても、有名な出版社から出てれば、なんだか有難いような気持ちになる。いや、しかし、それもどうなんだろうか。

どこへ向かっていくのか。2023年になって、ぼく個人としては、これまでの目標を達成してしまった気がしている。

アーティストになること。芸術家になること。アート活動を続けていく環境を作ること。これらの課題は自分にあった。自分をどうコントロールするのか。お金も他人の評価も問題じゃなかった。だって自分がやりたいことをやる、ただそれだけなのだから。

ところがだ、この社会でサバイバルしていくには、社会に食い込んでいく必要がある。侵食していくこと。今年はここが課題になりそうに感じている。社会に自分の考えや表現を拡散していくこと。いまは分かりやすくSNSで数値化される。「いいね」の数だったり。でも、そういうことがしたい訳でもない。それは分かっている。

これまでは自分の活動を通して評価を得てきた。それは、自分が理想とする場所に向かっていく活動に対する評価だったと思う。自分にも、みんなもやろうぜ、という気持ちがあった。でも達成して感じるのは社会との隔たり。世間から遠ざかるつもりはなかったけれど、ぼくの理想郷は、そういう場所だった。だとしてこの先に見たい景色は、自分の活動をレポートすることよりも、元々自分が手に入れたかった世界。それは表現をこの社会に届けること。ぼくが何者で何をしているのかということよりも、作られたモノが語る世界へと2023年は突入していこう。

分かっている。夢が現実になったら醒めてしまう。だから現実に飲み込まれて退屈する前に、次の夢へと逃げ込むに限る。

自分とは器でしかない。空。鏡合わせな空洞。危険でもある。自分を写し始めたら、それに捉われてしまう。ぼくは表現によって作られていく。自分とは表現のなかにしか存在しない。制作することによって自分が作られていく。ぼくがモノを作るのではなく、作られたモノがぼくの人生を作るのである。

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