いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

常識とは壊したほうがいい差別の壁だ。

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ゴキブリ。文字だけでも嫌な感じがする。その理由は、かつて人間がゴキブリに食べられていたからだと、ぼくは思っている。その記憶がDNAレベルで伝達されているのではないかと。
その仮説をある人に話すと
「実はわたしはゴキブリ飼っているんです。家にいるヤツじゃなくて。森にはもっとたくさんの種類が生息しているんです。それがいなくなったら森の生態系は壊れてしまいます。ゴキブリは人間を食べるほどには大きくはなれないです。嫌悪感は、単なる思い込みです。あるときラジオの子供質問コーナーで、ゴキブリはどれくらい汚いですか?という疑問に調査した結果、人間の掌より菌が少なかったんですよ。」

ぼくは何も知らないくせに、偏見の塊だった。なぜ、そんな風に思い込んでいたんだろうか。ゴキブリは汚い。それが「常識」。
 常識は、当たり前過ぎて疑う余地がない。常識に従えば、問題なく安全安心に生きることができる。だけど、世間の言われた通りに「ちゃんと」するほど、世界は狭くなっていく。ぼくは、知っているつもりになるほど、知らなくなっていく。逆に非常識になるほど、トンデモない言説が溢れ、世界は驚異と魅力で広がっていく。

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この日、津島のルミエールセンターで出会ったは砂川さんは、動物や生き物が好きで、東日本大震災をきっかけに、小動物を預かる取り組みを始めたら、どういう訳か爬虫類ばかりが集まってきたらしい。

いろんな動物に触れるうちに詳しくなり、いまではいろんな動物を飼う人の相談役になっている。
 「鳥の体調を知るには足の裏をみるんです。足が擦れていたら、それは長い間、木に止まっていた証拠なので、飛べていないから、どこかが具合悪い。とても当たり前のことなんです。」
 「ぼくは、誰も飼育できない凶暴なトカゲも手懐けました。やり方は噛ませて、どんなに痛くても騒がないことです。痛みも気絶するほど、幽体離脱するほどだと騒ぐ気も起きないですから。そこまで非暴力なら、凶暴なトカゲも仲良くしてくれます。」

 今では、爬虫類をかなりの数飼っているらしい。爬虫類と聞いて、あなたはどう思うだろうか。
ぼくは蛇には触れないかもとイメージする。だけど、それも思い込みの偏見で、ヌルヌルしてそうとか思うけど、確かに思っているだけで、触ったことはない。

 砂川さんは、あるとき飼っているトカゲが調子悪くなり、病院にいくと「トカゲを診察したことがないからわからない」といわれ、砂川さんは「原因は分かっているから、指示通りに手術してくれ」と依頼すると「トカゲの手術なんて、やったことないから」と断られ「俺がやるからやり方を教えてくれ」と自らメスを握って手術をしたらしい。おかげで、トカゲは回復した。そんな砂川さん、いまでは、動物園やら動物病院のアドバイスにのることもあるらしい。

 思い込みと常識が、視野を狭くする。家の改修方法にしても、砂川さんの動物の話にしても、技術の栽培化が進み過ぎた結果。つまり教えられた通りにやれば、資格さえ持っていれば、おカネになる仕事さえしていれば、それでいいのが常識。それは、まったくその通りでどこも悪くない。それでいい。

しかし、どういう訳か、何かの間違いか運命の悪戯か、常識の圏外に踏み出してしまうひとがいる。すぐ戻ることもできるけど、そのフィールドに喜びを感じてしまうひともいる。それは心の底から溢れる対象への愛なんだと思う。そういう人たちを何と呼んだらいいのだろう。

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この世界は、自分が見ているのと同じように、人の数だけあって、それぞれ違うのだから遠くに行かなくても、ちょっと違う角度から日常を覗いてみるだけで旅ができる。旅とは遠くに行くことではなく、新しい眼差しを手に入れることだ。キツネは、ずる賢くないし、蛇だって人間を誘惑したりしないし、オオカミだって悪い動物じゃない。UFOだって飛んでいるかもしれないし、ぼくたちだって、もっともっと幸せに生きる方法があるかもしれない。
 平凡で、単純で、日常的なこと、奇妙で普通じゃないことのあいだに差別をなくせば、日々の暮らしのなかにですら発見と喜びに満ちた大冒険ができる。

 砂川さんに「自由ですね」とコメントしたら「いや自然ですから」と言われた。自由の反対は不自由だから、自由ではまだまだ、不自由なんだと思う。正義が悪でもあるように。

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