夏頃だった。個展の誘いを貰った。話を聞くと、中学校の空き教室にギャラリーを作って、そこで年に一回作家を招いて展示をしていると言う。とくに興味を惹かれたのが中学生に向けて展示することだった。それからこの水戸第一中学校内の「ひのたてギャラリー」は美術関係者や愛好家たちによって運営されていて、その人たちがぼくら夫婦、檻之汰鷲の活動を見て声をかけてくれたも嬉しかった。
ぼくは常にコンセプトを作りながら活動をしてきた。生きるための芸術にはじまり、サバイバルアート、生活芸術、そして現在進行形であるココニアル。ココニアルとは、日本語のここにあるで、そこにあるものを利用して制作する姿勢を意味している。また植民地を意味するコロニアルの反対語で、よその土地からやってきた者がそこにあるものを搾取、利用するのではなく、モノや環境、自然そこにあるのもが等しく協働する理想的なバランスを指し示す造語でもある。
ココニアルの探究として、今暮らしている里山に楮(こうぞ)が自生しているのみつけて、伐採し煮て皮を剥いて和紙をつくる準備をしていた。アート作品の素材がどこからやってきて何処へいくのか、その来歴に責任を持つ制作をしてみたかった。どこまでやれるのか。つまり100%自然由来の究極のサバイバルアートである。けれどもそんなに大袈裟な言い方をしなくても、そもそも人間は自然を最大限利用して道具やモノを作ってきた。だからぼくの目的は、現在に伝わる完成した精度の高い和紙を作ることではなく、和紙を作りはじめた頃の試行錯誤も含めて追体験したかった。人間そのものをやり直すと言うこともできる。
紙の歴史は、よく知られるのはエジプトのパピルス。紀元前3000年に遡る。けれどもパピルスは「紙」の製法とは異なるため、紙と呼べるものが発明されたのは、中国で紀元前2世紀と言われている。紙以前は、パピルスのほか、羊皮紙、粘土板、木簡、竹簡が使われていた。今回の展示には粘土板も制作した。
正解に最短距離で到達するのが目的ではない。途中、楮ではなく自分で育てた真菰を使ったりもした。真菰も紙になるという記録を読んだからだった。けれども上手く紙にならず、楮に再び取り組んだとき、なぜ楮が紙になったのか実体験として直ちに理解した。繊維が違った。現在は繊維を機械でバラバラにするが、それも目的と違うので、いろいろ調べたところ叩いて粉砕することが分かった。
そして粉砕した繊維を紙にするには、やっぱり「漉く」という作業が最適解だと分かった。こうして身の回りのモノを利用してアートの基本的な材料である紙を作れるようになった。それが展示の3日前。ギリギリだった。
さて紙はできた。次はそれに描くための素材を作る計画だ。膠をつくり、薪ストーブの煤と混ぜて墨をつくる。黒色をつくること。膠は動物の骨や皮を煮てつくる。本来なら動物から皮を剥ぐべきだが、チカラ及ばずで、あれこれ調べた結果、犬のおやつが牛皮だと突き止めた。それを煮て膠を制作した。犬を飼っているので100歩譲ってアリにした。
今回の展示の舞台は中学校だから、話しを貰ったとき、ここにあるものをすぐに閃いた。学校の机で版画をやろう。そのアイディアを究極に突き詰めたのが和紙づくりと墨づくりだった。
学校の机を削って、すべて素材が揃ったのは展示搬入の前日。締め切りは素晴らしい。こうしてぼくらは「ここにある」をカタチにした。もちろん、これは展示の一品でしかない。ほかにも、手作りしたアイルランド式の舟、その舟で見た景色、ギャラリーアトリエにしている古民家の襖に耕作放棄地に種を蒔いて景色を作って咲かせたコスモスの絵。ここに檻之汰鷲(おりのたわし)の最前線を展示した。
ぜひ水戸第一中学校に足を運んで鑑賞して頂けると幸いです。作品は鑑賞されて成長する。ぼく自身も制作しながら自分自身が制作されていく。こうして言葉にすることで、ぼくは歩いてきた道を地図を広げて眺めるように、次へと進む道が見えてくる。
檻之汰鷲個展
Orinotawashi solo exhibition
「ここにある- COCONIALISM」
2022年12月5日〜2023年2月3日
ひのたてギャラリー(水戸第一中学校内)
開館時間:平日午前9時〜午後4時30分
*入館は午後4時まで。土曜日は正午まで。
*休館:日曜日
*来館には電話予約が必要
080-4782-4321(会期中のみ)
*冬季休業12月24日〜1月9日