いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

お前がやらないで誰がやるんだ?

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これで五回目の炭焼きだった。2回は失敗して、2回成功した。今回の火入れを担当した。けれども失敗してしまった。自然を利用することの難しさ。それ以上に自分がやるということの責任を痛感した。というよりも、自分がやるという一択しか存在しないと思い知らされた。

パンクバンドの歌詞に「お前がお前を信じないで誰がお前を信じる?」というコトバがある。何度もこのコトバに励まされてきた。さらにもう一言「お前がやらないで誰がやるんだ?」と追加したい。刺青は入れないけれど、もし身体に刻めるなら、このコトバを入れよう。


「お前がやらないで誰がやるんだ?」

If you didnot do it, who do it?

英語で言うとこうだろうか。

 

図書館で借りた本のなかに北山耕平さんが訳した「ジャンピング・マウス」というネイティブ・アメリカンの神話があった。読んでみたら、それはぼくの物語だった。訳している北山さんも自分の物語だったとまえがきに書いている。つまりこれは、たくさんの大勢の人に開かれた物語だ。

簡単にまとめると、ネズミが常識のそとを冒険して、幾多の試練を超えて鷲になるという話しだった。(あまりに要約し過ぎているから興味あるなら読んでほしい)

ぼくはあるとき、芸術で生きていくと決意して仕事を辞めて旅に出た。芸術家になるとき名前を作った。

檻之汰鷲(おりのたわし)

檻のような社会から

アートのチカラで

大空を羽ばたく

自由な鷲になる。

 

ぼくは旅をしたとき、いくつかの技を教えてもらった。

ひとつは、日々表現していく技。

ひとつは、動物をつくる技。

ひとつは、お金よりも大切な人に出会う技。

ひとつは、自然を利用してモノをつくる技。

ひとつは、社会を彫刻する技。

 

話は戻るけれど、炭焼きをやる人が減っていて、ぼくのところにも炭が欲しいと連絡がきた。年間通して買いたい、と言われて、趣味でやっているから、そんなにたくさん作れないと断った。けれども、火燃やしを失敗して考え直した。決して儲けにはならないけれど、炭を必要とする人がいるなら、できるだけ期待に応えよう、と。ジャンピングマウスの神話の影響もあったと思う。マウスは、困っている人を助けるために自分の目を与える。しかも両方の目を。それは比喩だとしても、自分のしていることが誰かの助けになっているなら、ぼくは死ぬこともないし、生かされると思う。

倉庫にある炭を整理して袋詰めして、クルマで1時間30分、炭を納品しに行った。そのついでにプラス2時間、群馬県館林市美術館にフランシスポンポンの展示を観に行った。

 

旅をしたとき、スペインでトム・キャンベルというアーティストにパピエマシェという張り子の技術を教えてもらい、動物をつくるようになった。動物をつくるうちに、インターネットの画像でポンポンの存在を知った。いつか実物を見てみたい、と思っていた。

ポンポンの造形が素晴らしいのは当然のこと、その歩みに励まされた。ポンポンが今に残る傑作を生み出したのは、晩年だった。それから技法についても収穫があった。すべてポンポンが作ったと思っていたが、ポンポンは原型を製作して、それ職人がそれぞれ石やブロンズにして、仕上げをまたポンポンが手掛けていた。

群馬県館林市美術館は、かなりの数のポンポン作品や資料を所蔵していて、随分前からコレクションして今回の展示に臨んでいた。その意気込みが伝わってきて感動した。

 

たくさん作って、たくさん売ることも必要だけれど、日々表現するなかで、カタチを育んでいく、そのカタチをみつけていくことも必要だと思う。ぼくの場合は、生きるため芸術や生活芸術と名付けているから、モノをつくる以外のところにも表現の可能性が秘められている。

 

追求していくなかで、カタチになったモノや技術もあれば、まだまだ何にもならないところもある。けれども、近視的に評価したりしないで、それぞれを伸ばして融合させていきたい。

いまは、木彫、紙づくり、土器、型染めが新たに技法として追加されつつある。まずは、やり慣れたパピエマシェで、動物のカタチをつくり、その原型をほかのオブジェに変換していくと幅が広がりそうだ。