いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

楽園に暮らしている

本を書いているから、日々の記録に向き合わなかった。けれど、実は今していることを自分で知ることが地図になる。現在地を記すことになる。地図をつくれば、迷うことがなくなる。何処へ向かっていくのか決めることができる。

 

お盆は、釣り人とサーファーで海が混んでいた。北茨城市の海だから混んでいると言ってもたいした数じゃない。でも平日のここの海を知ってしまったら耐えられない。贅沢を覚えてしまった。だからお盆の間は、籠もって本を書いた。

お盆が明けて、海へ行った。最近は長浜海岸から北浜へと場所を移した。長浜は狭くて、波があまりない。だから、ほんとうに誰もいない。誰にも気兼ねなく練習するには最高の場所だった。絵も何点も描いた。北浜は、駐車場も、エリア自体もどうやって入っていくのか分からなかった。少し考えたら、簡単なことだった。それから波がありそうな日は毎日通っている。誰もいない海。短パンでまだ海に入れる。控え目に言っても楽園だ。

そうやって遊んでいるうちに本のタイトルに「楽園」というキーワードを入れようと思った。

 

どうして人間は楽園を目指さないのだろうか。楽園とは、苦しみのない生活を送ることができる場所。パラダイス。

生きていくための条件を数えてみると、最低でも食べ物、家、仕事。これぐらいは必要だろうか。個人的には、追加するなら、妻チフミとアートと自然、それぐらい。

 

でも夢とか野望はあった方がいい。生きていくエネルギーになる。やっぱり、未だ知らないことに遭遇することが好きだから、海外に展開していきたい。自分がつくってきた表現を世界で試してみたい。いろんな国の田舎に滞在して、その美しさを発掘したい。もちろん、いまは北茨城市里山の景観をつくるプロジェクトの進行中だから3年くらいは少なくとも、カタチになるまで時間がかかる。

それからつくったモノが売れるとか、評価されることもやり甲斐があるから展示もやりたい。できるなら、大きな美術館で、作品展示やインスタレーションをいつかやりたい。

 

それに没頭できる環境は作った。あとは地図を描きながら、向かいたい先へと進んでいくだけだ。それには今日。それには今日。それには今日。1日をどう積み上げていけるか。2025年に向けて計画してみよう。