古民家のアトリエで作品をつくる。理想の暮らし。
仕事があることは幸せだと思う。ここ数日、オーダーを貰った作品をつくっている。毎年9月に開催されるフェス
今年は、イメージやテーマを共有しながらつくっている。
作品をつくるとき、いろんな欲が湧いてくる。常に新しくありたいとか、シンプルにしたいとか。
2人でやるから励まし合うことができる。お互いが厳しい目で批判することもできる。そうやって作品は、存在する理由、つまり新しいカタチをみつけて誕生する。必要な通過儀礼だ。
作業しながら次の展示のコンセプトをまとめた。
このブログを書き続けるのは「なぜつくるのか。
やっていることを言葉にしようと考えるほど、とても複雑な話になる。そもそも人間が生きている世界が複雑なのだから仕方ない。物語ることは、複雑になっていくこの世界を単純化して、
アメリカで滞在制作をして「線」を発見した。絵を描く意味と楽しさを再発見した。水平線。色。
夜、次の展示を予定していた会場が使えないと窓口になってくれている人から連絡があった。とても大きな芸能事務所が、興味を持ってくれ、展示を一緒にやろうとしている。理解ある友達がその会社に転職したという経緯もある。なんにせよ、人から人へ、出会いから出会いへと、繋がれてアートを仕事に生きている。
送ってあった企画書について質問された。
「展示をやって舟をつくりたいって言ってたけど舟も展示するの?」
「展示をやっておカネを集めて、舟をつくりたいんだよね。森に入って木も伐りたいし。もう人の暮らしから、舟もないし、森も必要なくなっているんだよね。おカネにならないから。でもおカネにならないことを人間がやらなくなったら、人間は滅びるから。だからアート作品を売ったおカネで自然と戯れたいんだ。失われていく人間の暮らしを遊びながら復活させたいんだ。生活のルネッサンス。だから協力してよ」
「日本の廃車をザンビアの友達に届けるドキュメンタリーっていうのは?」
「それも同じで、人間の暮らしを表現したいんだ。日本とザンビアは、同じ人間が暮らしているけれど、全然違う。日本では、もう走れなくなった自動車がザンビアでは現役で走っている。そこには、世界の格差が現れている。大きな溝があると思う。また日本から輸出される車事情とか、かなりディープだと思う。ぼくは、いまを生きる人間像を描きたいんだ。方法はなんでもいい。伝えられれば。廃車を届けるのは映像がいいね。」
電話のミーティングで、代わりに別の場所を用意するという話になった。はじめより大きな会場に変更になった。
「アート」はと何か。例えば「欲望」と翻訳すると説明しやすい。もっといい絵を描きたい。もっと高く売りたい。もっと価値ある作品が欲しい。アートは欲望を増殖させる。欲望は、目の前にある幸せを隠してしまう。見えなくなって踏み越えて、もっともっとと欲が途切れることなく続く世界に突入する。永遠に。
想いは溢れてくる。
ぼくはその地点を追い求めてる。