札幌に向かう朝、成田空港でこれを書いている。本はレヴィストロースの「野生の思考」をカバンに入れた。
札幌へは神社改修の打ち合わせ。数年前から計画に携わっている。DIYで改修の相談をされていた。しかしDIYだとやれる範囲が見えてしまう。技術や予算などの天井が。やるのは自分だし、その技術を他者に応用するなら尚慎重になる。結果アイディアはできる範囲に収まってしまう。
依頼主はそれを見抜いて、どうやるかや予算は勘案せず自由にイメージしてください、と言ってくれた。
段ボールで神社の模型をつくり、それに構造を付け加えた。いくつかのクリアすべき課題はあるものの住宅をイチから建てることを想像すればそれほど難しいことじゃない。実現できるはず。仕事には役割りがある。それぞれの分担が満たされたとき、仕事は大きな成果に達する。
6月の個展に向けて制作したいのだけれど、これまでしていることの仕事も重なって、なかなか捗らない。忙しいときに限って仕事が重なる現象。たぶんこれは自然現象なのだと思う。火はひとつの熱源では発火しない。いくつか集まって熱を発する。仕事も重なってエネルギーを発する。ひとつの仕事が別の仕事へとエネルギーを伝播して、それぞれは個人を超えた成果へと達する。もちろん重なった仕事を無事に捌ければの話。しくじれば火傷する。
週末は中野区新庁舎のキッズスペースで子供たちと壁画制作をした。壁画アート・プロデューサーの大黒くんとのコラボ第二弾。理想は子供たちが作る壁画。"The kids are alright"というキーワードが浮かんだ。The Whoの曲。子供はみんなオッケー。アート作品にも善し悪しがある。誰が決めるのか。しかしときに悪しき絵が美しいことがある。まるで民藝な話だけれど、例えば子供が描いた絵。これがときに美しくなる。誰が描いても美しい、と言いたい。しかしそう簡単なことじゃない。理想はこうだ。子供たちと壁画を制作して、子供たちが描くカタチや線が素晴らしかったら最高傑作だろう。これをやってみることにした。挑戦だ。
絵とはカタチと色だ。線を引く。カタチに沿って。色を塗る。どうやれば上手くいくだろうか。上手くいくとはどんな現象なのだろうか。
妻が言った。自分のカタチを作ったらどうかな。子供たちが自分の記号やマークをつくるの。
できるかどうか。幼稚園の絵画造形教室で試してみた。5歳の子供たちに自分のカタチってわかる?と質問すると分からない。じゃあカタチは? 分かる。マルとかシカクとか。じゃあ好きなカタチを作ってみよう。しかし曖昧過ぎてそれだけでは具体的なカタチは生まれなかった。でも何かのカタチが現れた。
昨年1年間幼稚園の子供たちと月2回取り組んできた絵画造形教室が役に立っている。子供たちがモノをつくる。その体験をしながら身につけていくこと。できることできないこと。課題はカタチをイメージしやすい状況を用意することだ。
自分のカタチを作るためのサンプルを用意することにした。身の回りのカタチ、いろいろなカタチにマグネットシートを切って組み合わせられるようにした。「カタチの合成に関するノート」を思い出した。クリストファー・アレキサンダーの本。パターンランゲージという建築方法を考案した人。当時は入手できなくて読んでないけれど、タイトルだけで想像力を掻き立てられた。そうだ、タイトルだ。それほどチカラを持つタイトルがいつも必要だ。
中野区新庁舎のキッズ・スペースの壁画制作は、子供たちがオリジナルなカタチを生み出せる環境を用意すれば成立すると分かった。
この方向性についてもプロデューサー大黒くんとミーティングを重ね、妻と試作を重ねてたどり着いた。
タイトルは最終的に、
「"The kids are alright" 子供壁画教室」になった。
中野区新庁舎の一般公開日に参加型のアートプログラムとして2日間に渡って実施された。しかし何人くるのか、年齢層など、まったく未知のまま、当日を迎えた。
オープンすると、子供連れの家族がポツポツと現れた。やがて会場は満員になった。整理券が配布された。初日は参加者たちに自分のカタチに画用紙を切ってもらい、そのカタチを壁に貼る。ひとつのカタチにどこか一箇所は触れるように次々と貼ってもらう。繰り返すと、カタチは木のように伸びていく。菌のように繁殖していく。ひとつひとつのカタチは参加者誰かのカタチ。繋がるカタチが集まってマチになる。
初日は、紙を切って貼って、その紙の輪郭を色鉛筆で縁取りして下絵を作った。ひとつひとつのカタチをナンバリングして、壁に色鉛筆でトレースしたカタチにも同じ番号をつけ、紙を剥がして、テーブルに並べて初日は終了。集まったカタチは120個。参加者は200人。
翌日は昨日作ったカタチから好きなカタチを選ぶところからスタート。昨日カタチを作った家族は自分のカタチに色を塗るためオープンから参加してくれた。2日目もあっという間に満員になって整理券が配布された。カタチに沿って色を塗る精度を上げるためにシートをカットしてトレースする方法にした。おかげで一歳半の子もカタチに色を塗ることができた。
ぼくたち檻之汰鷲は絵を描かない。子供たちが壁画をつくる。壁画教室だから少しだけ教える。ヒントで導く。仕上がりはまったく予想できない。けれど条件は設定してある。だからこ生き物のように絵が生まれ成長する。用意した色以外は存在しないし、カタチは塗り潰すから輪郭だけが存在する。トレースを繰り返すことでハプニングが重なる。みんなで作った絵になる。
アートプロジェクトマネージャー大黒くんは「檻之汰鷲の作品になるか心配しています。子供たちが描くことでオリジナリティが失われるのではないか」と言った。結果的にはその真逆だと理解してくれた。
環境をつくること。身の回りの素材が作品を決定すること。これは札幌で展開している神社改修のプロジェクトにも通じている。もっと言えば、環境が人生をつくる。