いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アートは予定も仕事もない空白から生まれる。

20年前に表現者になると決めて、その10年後に会社を辞めてアーティストとして独立した。いまは職業を芸術家と名乗っている。有名でもないし、周りから見たら成功もしていない。けれどもそれを仕事にして生きている。

どんな職業でも幅がある。ものすごく稼ぐ人もいれば、普通の人もいる。場合によっては廃業してしまうこともある。職業のひとつだとすれば芸術家もさまざだ。

芸術をして生きることを目指している。つまり死ぬまで続くように。収入は年齢にしたら少ないと思う。しかしこのやり方を気に入っている。仕事とは英語でwork。作品という意味もある。

ゴーギャンは、何処から来て何処へ行くのか、我々は何者か、との問いを投げた。ぼくたちに。だからその問いから仕事を眺めてみたい。その仕事は何処から来て何処へ行くのか。何の仕事なのか。目を逸らさないこと。見えないものを見えるようにすることも芸術家の仕事だ。

例えば、今は都内での壁画プロジェクトの準備をしている。行政のプロジェクトだから予算は税金だ。その地域に暮らす人たちがペイントに参加する。その壁が日常を飾る。ぼくたちが絵を描くのではなく、その街に暮らす人が描くパブリック・アートの仕事。

例えば、幼稚園の絵画造形教室の先生をしている。幼稚園の運営計画から子供たちに絵画を教えようとなった。で、その担当先生が辞めてしまったので、代わりに声を掛けてくれた。子供たちの創造力を豊かにするために。子供たちの未来に向かっている教育という仕事。

例えば、知り合いの飲食店の看板オブジェをの修理。北海道の開拓プロジェクトのオーナーが経営するお店の看板。作った造形屋がもうなくなって、ぼくらに依頼が来た。これまでの技術が活かされた。廃棄するより直して使うという選択。立体造形の仕事。

明日は炭焼き。暮らしている地域の景観をつくる仕事の一環。周りの木を切って炭にする。炭にしなければ木は廃棄物になって有料で処分される。処分する代わりに炭すれば、それがお金になる。炭焼きに関わる人に少しだけ給料が発生する。作った炭は道の駅で鮎の塩焼きに使われる。地域をつくる仕事。

芸術と社会の間に仕事が生まれる。一方で作品は依頼や予定のない時間から生まれると考えている。同じworkでもそれぞれ違う。仕事と制作と分類しよう。

社会から離れ、誰からも頼まれる仕事もないときそれでも何かをつくる、これが制作。6月に個展の予定がある。このために仕事や予定のない時間が欲しい。

日本画の先輩は、絵を描くだけで生きている。彼はこう言った。「いろいろやると絵を描く時間が減るんだよね。まあほかはできないってのもあるけどな。絵に専念して、それが売れなきゃ死ぬ、かどうか、そういう生き方が痺れるんだ。たまらないね」

制作、仕事、お金、生きる、自然、社会。現在のところ、このバランスのなかで泳いでいる。仕事を依頼してくれる人にたまらなく感謝している。だってそれが夢だったのだから。その仕事がなかったらできない経験、そこからしか生まれない作品がある。しかしまだまだ。仕事を並べて喜んでいるようじゃ、とも思った。とは言え、正解はないし、生き方そのものを作っているのだから、気持ちに嘘なく表現できているなら、その道を進んでみたい。