いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

失われた「祈り」/祭りを再生する試論

生きるための芸術とは、生きるための技術だと考えて表現してきた。けれども、もっと近くに対象があった。身体というツールを見逃していた。これを利用しなければ、いかなる道具も役に立たない。

身体を動かして生きることの大切さを実感している。誰かを働かせて自分が楽をしてもその誰かに苦が残る。自分が苦を取れば、相手に楽を残すことができる。今日やれることを今日のうちにやれば、明日には新鮮な今日がやってくる。とてもシンプルなことだけれど、複雑化した社会のなかでこれを実践するのは難しい。

人生をつくることは、日々の生活をつくることであり、毎日をつくることは、自分と向き合うことであり、自分の身体を動かして働くことである。その中心には身体がある。当たり前過ぎて、身体が不自由にならないと気がつくことができなかった。薄々は意識していたけれど、失ってみなければ、身体と真っ正面からは向き合えなかった。

 

身体が痛くなって、身体が歪んでいることを「整体」が教えてくれた。整体というと、何かスピリチュアルだったり宗教的な臭いがするような気がして今まで避けてきた。ヨガの方が身近なのかもしれない。けれども、施術してもらうと確かに回復したし、身体を整えくれたと実感できた。

整体とは、大正時代に広まった手技を使った民間療法のことで、西洋ではカイロプラティックなどの脊椎に働きかける手技をルーツに持つ。それに中国や日本古来の技などを独自に混ぜ合わせてきたハイブリッドな技らしい。

明治維新をきっかけにそれまで行われてきた占術や祈祷、修験道などによる民間療法を禁止したことによって、それらは別のカタチで社会に潜伏することとなった。整体は、それらの隠れ蓑となって、当時は、霊術家と呼ばれる人々が医療制度と技術の不備を背景にアウトサイダーとして行っていた。明治から昭和の初期にかけては、西洋医学では補えない何かがあると世間でも信じられていて、霊術家は黙認されていた。しかし、実体が掴めない霊術は、偽物も多くあり、似非宗教や詐欺の類もたくさん発生していた。

そのせいもあって、霊術に関する問題は増える一方で、第二次大戦後GHQに禁止されたことで、ほぼ終焉を迎える。

 

自分の身体を通して、整体と出会ったことと、いまの時代にすっかり失われている何かがリンクした。その何かを表してみたい。これは見えないものであり、実体のないもの、ときには迷信と呼ばれるものでもある。

人類が誕生して、自然のなかで、生き永らえていく過程で、理解も説明もできない現象ばかりだった。人間は偶然に身を委ね生きてきた。少しばかりでも、偶然の精度を高めるために祈るようになった。けれども何千年も続いてきた「祈り」は、現在、日本で暮らすぼくのライフスタイルの中には存在していない。

去年の春、バリ島に滞在したとき、人々は家の周囲の神々に祈りを捧げていた。その祈りは、周囲の弱者を救うという行動として実践されていた。ぼくが子供だった頃、1980年代には、まだ暮らしの中に「祈り」があった。今では、民俗学の本のなかで、かつての暮らしがどれだけ未知の自然に隣接していたのかを伺い知ることができる。

 

歴史好きの飲み談義に参加させてもらったとき、江戸から明治への転換期の話題になった。江戸期は日本は鎖国をしていたから、とんでもなく豊かな国で、戦争もないし、比較する対象もない閉ざされた平和な国には、独自の文化が自生していた。

ところが、この豊かな国を目指して外国がやってきた。ペリー来航として歴史には記されている。不平等条約とセットで習う。けれど、江戸幕府とペリーの条約は不平等ではなく、明治維新のあとに不平等条約をかわし直させられたのが事実らしい。その文献もあるけれど、歴史は勝者の都合で書かれているから、未だに真実は語られていない。明治維新は、幕府を倒すために薩長に資金と武器を提供した海外の支援で実行された、と。かなり端折った話ではあるけれど、江戸幕府は倒れ、明治時代になった。西洋文明が流れ込んできて、いろんな物事が西洋化していった。

海外を旅したとき、日本人であることを自覚したし、日本という文化を通過した表現をしたいと思った。それを再発見するために日本のあちこちに暮らしてみた。家ひとつにしても、その形態は変質していて、もともとは、自然由来の素材で身近にあるものを利用して建てられていた。この在り方が人類に共通する暮らしの起源だと言える。ヨーロッパでもアフリカでもアジアでも同じだった。だからぼくの表現は、これに従って身の回りのモノを最大限に活用して制作する。ルーツを遡って単純化していくことは、普遍的なアイコンへと記号化していく。生きるための芸術とは、表現を生きるための技術へと退化させることでもある。

 

生活というものを単純化していくなかで、つまり歴史を遡って原始/原子化していくなかで「祈り」というキーワードが復活してくる。身体と祈りは、繋がっていたんだと直観しているけれど、例えば「祭り」は祈りと身体がひとつの行為になっている。もちろん、身の回りに残っている「祭り」も祈りの部分は、かなり削られて儀式としてのカタチだけが伝えられているものが多い。

この文章を書きながら数日考えてきたけれど、ここから拾える要素は「祭りの再生」だろう。数年間、空き家を通じて家をテーマに取り組んで、その結果、自然の中の人間の暮らしがテーマになって、北茨城市の山間部にアトリエをつくり、地域を再生してきた。この先には、自然環境つくることで、その実践のひとつに神社の再生という目標が見えてきた。

 

特定の宗教を根拠とさせずに、もっとその根源へと回帰させたい。仏教もキリスト教イスラム教もユダヤ教ヒンズー教神道も、そのどれもが、人間を活かすためのテキストであり呪文のコードだった。

どんなお祭りをどのように復活させるのか。そこにどのような「祈り」を現代にインストールできるのか。