いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

サバイバルアート。目的とは違う成功をみつけるプロセス。それが失敗。

朝から制作の予定。最高な一日。企んでいたアルミを溶かす計画。可能な限りつくるDIYをサバイバルアートと呼んでいる。

空き缶を拾いに海へ行った。波が大きかった。いい波だった。空き缶を拾って、崖の破片を拾った。この崖は砕いて水に溶いて顔料にすると白色になる。

家に帰って炭に火をつけた。ブロアーで風を送る。一石二鳥を目論み、炭窯で焼いた陶板に模様を書いて、それを焼きながら、アルミを溶かすことにした。陶板には崖の白を使った。陶板の側に書かれるべき模様が見えたので、それを書いた。

そのむかし炭で温度を上げて鉄を溶かしたと教えてもらった。アルミの融点は660度。それぐらいなら到達するはず。送風していくと熱は赤から黄色になる。周りは白くなる。陶板も熱されて白くなる。フライパンに拾ったアルミ缶を投入する。塗料が燃える。変形する。溶ける。4つ溶かした。陶板の様子を見ると変形している。慌てて取り出した。半分溶岩のように溶けてしまった。アルミは溶けている。フライパンを掴む。用意した皮の手袋が薄くて火傷した。水で冷やした。再開。用意した陶板に流し込む。急激な熱で割れてしまった。

ここで落ち着く。ふー。火傷したな。陶板は割れたし、溶けたし。これは失敗だ。失敗。ああ、失敗なのか。心のなかで反芻しながら片付けをした。はじめて失敗した壺を割る陶芸家の姿が理解できた。

数時間後、改めて溶けたアルミ、陶板を手に取って眺めた。ひとつの陶板は、一部分がガラス質になっている。ああ、これが全体に及んでいたらすごくいい。もうひとつの陶板は右側が溶けている。文字のような模様は残っている。

これは土器から陶芸に向かうプロセスの実験。陶芸は技術が確立されている。ホームセンターに行けば釉薬が売っている、望んだ色を出せる。売っている粘土は焼成の温度が決まっている。電気窯を使えば、望んだものをカタチにしてくれる。ルールの通りやれば失敗はない。予め設計図があるものづくりを「栽培の思考」、その反対を「野生の思考」と人類学者レヴィ=ストロースは呼んだ。

太古に戻って自然からやり直してみたい。これが望み。身の回りのもので自然を利用して何がつくれるのか。野生の思考。コントロールを超えたハーモニー。マジック。自然の土を火で焼く。温度も土の性質も釉も、どれも即興的に組み合わされ、そこに現れる。

失敗。失敗とは何だろうか。成功とは望んだカタチを手にすること。じゃあそもそも望んだカタチがなかったとしたら。この試み自体が目的だとしたら。

妻に「失敗だと思っていたけど、これは面白いよ。どう狙ってもできないし。アイウェイウェイ(中国のアーティスト)の作品だったら絶賛されるよ」と説明した。

妻は笑っていた。

こうしてひとつ作品になった。

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