いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

土に魅せられて

図書館に行った。本棚を眺めていると手が伸びる。それが今の自分の興味。同時に読みながらあれこれ考えを巡らせている。生きるための芸術を探求してきて、いまは土器に注目している。

「日本の色を染める(吉岡幸雄著)」によると明治時代までは色と言えば植物から採取した染色だった。西洋から化学染料が入ってきて、日本の伝統的な染料の技術は、変わってしまったそうだ。原料が変わったのだから色の表現も変わった。

この本によると火がはじまりだった。40万年前、50万年前、自然発火に遭遇して人間も火をつかうようになった。火は夜を照らした。明るくした。火は夜の太陽だ。それによって赤を知った。赤い花、流れる血。

火を扱うようになって、器をつくるようになった。粘土をみつけて焼成して硬くなることを知る。縄文時代には、土の中から赤い成分をみつけて土器に塗っていた。すでに色を知っていた。土を燃焼していくと煙が強くあたるところに煤がついて黒が発見された。
草から繊維と取り出して、糸をつくった。はじめは白くなかった。灰汁煮きや太陽の紫外線にあてることで白くなることが分かった。白が発見されて人間は豊かな色彩を操るようになる。

日本の色を染めるの冒頭を抜粋要約した。
いま興味がある、土器と色について触れられている。あと繊維を取り出して糸をつくること。これは、いま草をバラバラにして漂白して、紙をつくろうとしている。

井戸を掘っていたら粘土が出てきて、それで器をつくった。「色をつくること」と「器をつくること」が交差するところで作品にしたいと考えた。陶器に色をつけるには釉薬をつくることだ。陶芸は土を利用して作る。釉薬とは、熱で溶けた物質のことで、「身近な土を焼く(芳村俊一著)」では、何でも釉薬になると書いてある。モノによって溶ける温度が違うだけで、溶けてなくなる前に取り出すことができれば、様々なものを夕として使えるそうだ。

窯をつくって、土器を焼く。身の回りのモノを釉薬にして、色を出す。これができれば、人類の原点に回帰したモノづくりを作品にできる。とにかく自然のエレメントを駆使してどこまでモノづくりができるのか。それができる環境にいるのだからぜひやってみたい。