いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

盗むなら広告。Just do it. すぐにやれ。無駄こそが豊かさ。

忘れないうちにメモしておく。海で出会った怪しい宮大工のお爺さんが電話をくれた。何の話しか分からなかったが、とりあえず大切な言葉を置いていった。

奥さんの仕事を楽にしてやれ。自分の仕事を極めなさい。身体を使って。人を使うような仕事はするな。気持ちのいいことをすれば人は集まるし、嫌なことをすれば離れていく。単純なこと。人は楽しようとする。自分が楽をしていいことはない。厳しい師匠に学べ。楽な人に学べば余計に楽しようとする。他の人が持っていない技術が最後は役に立つ。誰もが必要とするものを考えなさい。自分が親方ならみんなが楽になるように考えろ。お金を作るなりやり方を工夫するなり。

「つくる」とは何だろうか。そのすべてをアートだと考えてきた。つまり人生も料理も遊びもクリエイティブかつ創造だと。何かをつくるとき、どこからつくるのか。例えばホームセンターで材料を買ってきて作るのか、素材から作るのか。素材から作ればオリジナリティを獲得できる。ここが肝だ。モノだったら素材を買って作ることができる。料理もそうだ。しかし人生はどうだろうか。人生の材料は売っているだろうか。

つまり、できるだけモノを買わないで身の回りから作る行為は、人生をつくる技術へと発展できる。これがずっと思考し続けてきた生きるための芸術だ。もちろん、これは答えではない。経過報告のひとつ。

オリジナリティとは、そのクリエイティブが湧く源泉を持つこと。ヒントは至るところにある。しかし、アイディアを誰かのクリエイティブから引っ張ると、盗作や引用になる。

引用が悪いとかの議論をしたいのではなく、つくることの意義が、良いカタチをつくるのでもなく、売るためでもなく、他者の評価でもないとしたら。つまり、自分の人生をつくるためにあるとしたら、ヘタでも、売れなくても、評価されなくても、その技術が人生を豊かにするのであれば、やること自体に意義がある。

つくるを経験したことが普遍的な生きるための技術になる。生きるってことは生命活動。だから社会よりむしろ自然の側に属している。そのメカニズムは資本主義や商品の流通経路ではなく、自然の摂理に属している。

日曜日の夜、バンドの動画を撮影をした。メンバーが映像機材のレンタル会社で働いていてそのスタジオを使わせてもらった。まるで売れているメジャーのバンドみたいだった。

ぼくはボーカル。詩を書き、歌う。撮影されながら考えた。今は収録スタジオで撮影されている。けど歌ってものは違う場面で機能する。だからイメージだけでも何千人もいるフェスティバルのステージで、そこにいる人に伝わるように歌った。

撮影を終えて、妻と合流して板橋区から北茨城にクルマを走らせた。途中友部SAでカツカレーを食べた。

翌朝から作品づくりをした。妻とふたりでアート活動をしている。20年。これが日々の生活であり制作スタイルだ。予定がなければ作品をつくる。誰からの依頼もないとき純粋にモノづくりに没頭できる。月曜日は集中した。10点ほどの下絵を制作した。経験したことが絵になる。

翌火曜日の朝。起きると、妻が財布がない、カバンがないと言う。どこを探してもない。昨日はどこにも行ってないのに。免許がないからクルマが運転できないと言う。代わりに運転して用事を済ませつつ、最後にお財布を使った友部SAに電話するように言った。妻が電話するとまさかそこで預かってくれていた。忘れてきたのだ。日本は平和な国だ。

友部へ向かう途中、北海道のプロジェクトの打ち合わせを電話でした。札幌市内のはずれの農園と神社を改修するプロジェクト。壮大な計画だ。土地や建物を再利用するぼくたち夫婦の活動を見て声を掛けてくれた。

宮大工のお爺さんの言葉が頭のなかで響いていた。「みんなが必要とすること。それが自分の仕事」。絵を描いたりオブジェを制作したり、モノをつくることも確かにやりたいことではある。人生の中心にある。しかし、ほかにもっとぼくを必要とする仕事もあって、それはより社会的な活動で、例えば古い建物を再生することや、使われない土地を活用すること、木を伐って景観をつくること、これらは未だ名前がなく捉えどころがないけれど、確実にみんなが必要とすることで、ほかの人にはできないことだ。

経験したことが作品に反映される。NIKEならJust do it. 友達の芸術家トムは"Art is doing word."と教えてくれた。キーワードは"do"。日本語で「する」。だとしたら経験は素材であり材料になる。「どこにも売ってない」は重要なことだ。探すべきは商品以外にある。恋人も友達もどこにも売ってないのだから。

ボーダーから零れ落ちるモノたち。無名のバンドとか、放棄された家や土地、うまくない絵、謎なオブジェ、誰かの言葉、落ちてる紙切れ。ある価値観からすれば役に立たないものたち。当然ながらどこにも売ってない。何処にでもあるし輝いている。ほかの人には見つけられない光がある。

先週ライブハウスで友達と話したとき

「バンドをやってても売れないから、お金が出ていくばっかりで」と言ったら「楽しいことはどれも無駄ばっかりだよ、それができるのが豊かさなんじゃない?」と返事をくれた。