いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

プラスよりマイナスは絶妙な漂白のタイミング。正しいは間違っている。

次のプロジェクト企画を"The kids are all right-子供たちはいつも正しい" というタイトルで提出したらディレクターさんがクライアントに修正を打診されたと報告してきた。

問題は「正しい」という言葉だ。正しいということは、その反対も想起させるとのことだった。そもそもall rightの意味をネイティブに確認したら、大丈夫とかオッケーで、正しいはcorrectで少し違うと教えてくれた。

去年から幼稚園での造形絵画教室、特別支援学校で学校行事に参加させてもらい、子供たちが作るものに優劣をつけたくない、という想いが湧いていた。ディレクターから企画の条件として、①子供たちのワークショップ②その前に大人たちのディスカッションをプランに入れて欲しいと言われ、ああ、きっと大人たちがどうやったらいい絵になるか考え子供たちにやらせる会だろうと想像した。だから、大人たちがディスカッションするのではなく、子供に還って大人がハサミでカタチを切るプログラムを想定した。大人が頑張って作ったカタチを子供たちがコラージュする。そんな企画のつもりだった。

その結果「正しい」という言葉と「大人」と「子供」の対立構造を修正したいということだった。ぼく自身もそんなつもりではなかったけれど、もらった要素と自分の想いを並べて繋げたらそうなっていた。

この「想い」が取り扱い要注意。勉強になった。大きなヒントを得た。作品に想念が込められる。それがほんとうに必要なのか。それがきっかけでカタチが生まれたとしても、それを抜くことで純粋なオブジェクトに生成できる技もあり得る。漂白する。アク抜きする。

東京に滞在したので久しぶりにライブを観に行った。友達のバンド、友達のパーティー、下北沢のライブハウス。このライブハウスという空間も、もっといろんな使い方できるよな、と考えていた。本と音楽のイベントでトークがあるとか。政治や社会について思考する音楽イベント。

ライブハウスは爆音だった。20代のDJがノイズテクノみたいなのをプレイしていた。ロックンロールが歪んで電化してた。ライブが始まる前に酔っ払ったひとがマンコ、マンコ!と叫んで入ってきた(知り合いだけど)。ライブが始まるとバンドはハードコアパンクでチンコの歌ばっかりだった。

ああ、なるほど。誰も考えたくないし、現実を突き詰めたくない。忘れるための場なのかもしれない。しかし音楽はメッセージだ。音楽と言葉が現在から未来へ踏み出せる希望でありたい。もちろんこれも「想い」だから取り扱い要注意ではある。

そんなライブハウスを出て北茨城に帰ることにした。22時に出れば日付けが変わる頃家に着く。翌朝の海が良さそうだからサーフィンのために。

翌朝しっかり起きて海に行った。海の絵を描く予定だからその下準備も兼ねて。海は少し荒れていた。写真を撮っていたら、軽トラックから声を掛けられた。話すと、宮大工のほか8つ仕事をしているという68歳。怪しい風貌ではある。職業のひとつにAV男優とか言っている。ちょうど北海道の神社改修プロジェクトで宮大工の技術が必要だったので質問したらヒントをくれた。炭焼きをやっていると話したら商売の相談に乗ってくれた。ちょうど炭を納品するためにクルマに積んでいたから実物も見せた。

神様がいるとかいないとかの議論は別にして、こんな具合にタイミングが重なることがある。「流れ」と呼んでいる。お爺さんは「あんたついてるな」と言った。あとぼくが返事を「はい、はい、はい」と連続して返すので、返事は一回だ。相手に失礼だろ、と注意された。急かされるらしい。はい。はい。確かによくない。

本や昔話で描写される神様は少なくとも金持ちや成功者の姿をしていない。生きるためのヒントやアイディアも、ヒントやアイディアの姿をして現れない。遭遇した出来事を読み解くこと。裏返したり、向きを変えたり。で、それが自分の糧になる。

図書館で借りたマルクスの本を読んだ。はじめて読んだ。マルクス資本論、そのタイトルだけはよく知っているけど。でも中身は知らなかった。解説によれば、つまり資本主義社会の仕組みを明らかにしたのがマルクスだった。まだカタチがなかったものを整理して言葉にした。その作業は困難を極め、数十年を費やした。生活にも困った。歴史的名著とされる「資本論」も第一巻は書き上げたものの、その続きは途中のまま死んでしまった。現在知られるところの資本論エンゲルスが引き継いで仕上げた。マルクスが執筆に集中できたのは30代から40代だったらしい。

ひとつひとつが過程で、一日は一生の過程で、完成や終わりはなくていい。想いは必要だけど、それは流れていく。立ち上がったことが既にカタチで、それに付随することは剥がれ落ちても構わない。正しさは反対側からすれば不正になる。意味を削ぎ落とされて、それでも立っているようなシンプルさに真がある。それは芯でもある。一気貫通している何が残ればいい。