いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

社会を変えられないとしても自分の目の前は変えられる。

表現するということ、何かをつくること、それが大好きで10代から続けてきて、もうすぐ50歳になる。成功もしてないし、何かの途中なのだけれど、結果が出るのは死ぬときだから、その過程に考えたことや、経過を記録しておくのは何かしらか意味がある、と思っている。レオナルドダヴィンチもメモや手記が残っていたから偉人になった。宮沢賢治もそうだ。作品がなかった誰にも知られなかっただろう。

身の回りの見えないものに価値を与えられるのは自分自身だけだ。

話しは少し違うけれど、例えば、ビートルズジョン・レノンが暗殺されてなかったらどうだっただろう。ポールマッカートニーの方が有名で、ジョンレノンは伝説にならなかったかもしれない。不思議なのは、生きている人よりも死んでしまった方が評価されることだ。この価値観は日本だけでなく世界共通だ。ブルーハーツに「惜しまれながら死んでゆく英雄に憧れ」という歌詞がある。

ぼくは生きるための芸術について考え実践しているから、死についても考える。最近むかし持っていた本「死をデザイン」するを買い直した。LSDの父とも言われるヒッピーカルチャーのスター、ティモシー・リアリーのこの本はタイトルだけで傑作だ。

ティモシー・リアリーは、死に方を決めた。そしてそれを公開した。エンターテイメントのように。

誰にでもやってくる

終幕を迎えるにあたり

計画を立て

遊び心を忘れず

細かく配慮し

しかもエレガントに準備するために

先日、恵比寿で友達がプロデュースした展示を観に行った。友達は照明アーティストでそれこそ有名なフジロックフェスティバルBTSとか布袋寅泰とかを手掛けていたと教えてくれた。けれどもコロナで仕事を失い、負債を抱えて鬱病になってしまった。薬を飲んで寝ているばかりになってしまった。なんとか回復したくて、比叡山に行きお寺の住職の話を聞いて、質問ばかりしていたら「喝」怒鳴られ、答えを求めるな、と怒られた。

そのあと能登半島にいき、輪島塗に出会い、伝統工芸が衰退していることを知り、何か役に立ちたいと、輪島塗の伝統という看板を破壊して工芸に戻してやることにした。そうした経緯でギャラリーでは輪島塗の作家と友人の作家のコラボレーション作品を展示していた。つまりぼくの友達は、彼らの活動をプロデュースして展示していた。

友達は、先輩のオフィスの半分をギャラリーに改修することを提案して、先輩と共に新しいギャラリーを立ち上げた。

恵比寿にある素晴らしいスペースだし、作品もカッコよかった。けれども、何かが足りなく感じた。ギャラリーも展示も整っているのだけれど、何が足りないのかは分からない。展示してあるのが自分の作品ではないことが退屈なのかもしれない。ちょっとした嫉妬かもしれない。

そのギャラリー空間にいて、そこにいる人たちと話しをして、価値を判断している場のように感じた。その雰囲気に馴染めなかった。ギャラリーなのだから価値を判断するのは当たり前だ。ぼくの方が間違っている。その前提で話しを続ける。

あの空間で、ぼくに対して誰も興味を持ってないのを感じた。それは自己紹介をちゃんとしなかったとか、魅力的なPRをしなかったというのもあったのだろう。たぶんこれが都市のクールさなのだ。忘れていた。

しかし、これは悪いことじゃない。人と出会って、きちんと自分自身を伝えて、次に繋がるように立ち居振る舞うこと。むかしは、そうやって友達を増やして、都市生活をしていた。

都市生活者だった頃、とあるファッションブランドのイベントプロデュースの企画提案をしたことがあった。企画は、招待制のイベントで、モデルやタレント、ミュージシャンなど集まっていて、そこに混じりたいと思わせて、さらに感度の高いオシャレな人を集めてブランディングしましょう、という内容だった。こういうのが欲しいんでょ、と提案したのだけれど、社長に完全拒否されてしまった。

社長さんは「ファッションというのはモデルさんやタレントさんのためのものじゃないんです。ましてや感度の高い人のためでもない。うちのブランドは地味な人や見た目はパッとしないような人でも、それを身に付けることで毎日が楽しくなる、そんなつもりでやっています。そうい人がターゲットなので、その企画はまったくウチでは必要ないです」

あの頃とはすっかり考え方は変わって、ぼくは水のように生きたいと考えている。水は高いところから低いところへ流れていく。ぼくのアートはより低いところを豊かにしたい。

 

これからはこう自己紹介をしよう。

わたしは檻之汰鷲(おりのたわし)と言います。妻と2人で一緒に作家活動しています。名前には、檻のような社会からアートのチカラで大空を自由に羽ばたく鷲になる、というメッセージが込められています。わたしのテーマは生きるための芸術です。生活そのものを作品にしています。いまは茨城の山の集落の景観をつくるプロジェクトをやっています。景色そのものをつくるランドスケープアートです。自然そのものが素材です。例えば、荒地を耕して花を咲かせ、それを絵にしました。つまり目の前の景色をつくるのです。想像の世界ではなく現実世界をつくるアートです。

社会を変えることはできないかもしれない。でも自分が見ている目の前を変えることはできる。自分の毎日をつくり変えること、これを生活芸術と呼んでいます。誰もが自分の人生のなかでは表現者なのです。