いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アートをつくる、仕事をつくる、生活をつくる。

たまに思いつくままに文章を書きたくなる。今していることや、これからすること、未来やこれからの社会について。芸術家として生きていくと決意して、ようやくそれに専念できるようになって、それは絵だけではなく生き方をつくるという表現になった。

その表現は、仕事のそのものをつくることでもあり、それによって、必要以上にお金に振り回されることを防いでくれている。

好きなことを、やりたいことを仕事にすれば、稼げる金額は少なくなる。中には、それで大きな収入を得る人もいる。それはそれで素晴らしいけれど、ぼくは収入を軸にデザインをしない。

収入が少なくても楽しく豊かに暮らせるように生活をデザインする。素晴らしいことに日本には、そういう余地がある。ほんとうに酷い状況だからこそ、社会の余白が必要になる。

例えば、たくさん働かなくても生きていければ、コロナウィルスのような天災のなかでも、生きていくことができる。問題がお金ではなくなるからだ。社会や経済と切り離したところに拠点を持てばそれは可能になる。けれども、それは安定とは程遠い、大海原に挑む小舟のような居場所でもある。

コロナ禍で、感染すれば周りに迷惑をかけると考えて、ギャラリーアトリエを訪ねてきたいという人を断ってきた。考えてみれば1年以上、この緊急事態が続いている。

「景色をつくる」という活動が幸いにも仕事になって、給料を貰いながら集落支援員として景観の手入れをしている。アートプロジェクトが仕事になった。

主な仕事は草刈りだ。髪の毛も手入れをした方が見栄えがよいのと同じで、草刈りをすれば景観はよくなる。単純なことだ。

コロナ以前の計画では、生活をつくる、景観をつくる、という芸術からはみ出していく活動をしながら、アート作品をつくって、ギャラリーで展示して作品を売って、それらの活動を本にまとめて出版して、海外にも度々、展示やら制作で旅をして、というのが少し前に想像した未来だった。

コロナのおかげで、移動や人に会うコトに制限ができた。けれども、どうしてもギャラリーを見学したいと言ってくれた人がいて、これは受け入れるタイミングだと思い、久しぶりにギャラリーを開けて、つくっている景観全体を案内した。自分が動けば周りが動くと友達が教えてくれた言葉の通り、この日は3組の見学があった。午前中に大慌てでギャラリーの草刈りをして準備した。人をもてなすということを想い出した。

作品が売れるかな、と展示を入れ替えたけれど、作品自体は売れなかった。代わりに「景観をつくる」という活動に興味を持ってくれ、別の土地の価値を発掘してプランニングして欲しい、という大きなオファーを貰った。

そこにあるものを利用して景色をつくる、これを「ココニアル」と呼んでいる。植民地のコロニアルの反対語で、ぼくたちの造語だ。意味は、植民地がよその土地から来た人間がその土地のものを支配下にするのに対して、ココニアルは、ここにあるモノたちが協働して理想郷をつくるというコンセプトだ。

「誰にも頼まれていないことをやる」を基本にしている。絵を描くのも、立体をつくるのも、景色をつくるのも、はじめはオファーなんてなかった。

やってみたい、やりたい、と沸き起こる直観に従って、それをやる。それらがカタチになってくると、そのなかの何かが仕事になる。約1年ほどで「景観をつくる」が仕事になった。他者がそれを見て「欲しい」と感じてくれた。「欲しい」という感情を引き出すことができれば、お金は後からついてくる。どうやって幾ら儲けるかの仕組みを考えるよりも、「欲しい」という感情を引き出すことができれば、そこに価値が生まれる。

時代はとても過渡期にあって、社会も人の心も不安定だけれど、流されない生き方、ライフスタイルをつくることができる、それを伝えていきたい。