いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

あれから20年。この先20年。

あれから20年が経った。20年前、ぼくは交通事故に遭い、その年の秋に親友が死んだ。彼は27歳だった。

そのときにぼくは本気で生きる決意をした。やりたいと思うことに全力で取り組むこと。ぼくは自信がなかった。つまり誰もぼくを評価してくれる人が周りにいなかった。そのはずで、自信がないからまだ何もしていなかった。でも音楽が好きだし、本も書きたかったし、絵を描いたり、アートをやってみたかった。

彼が死んだとき、お葬式でぼくはその決意を手紙に書いた。火葬場でそれは彼と共に燃えて煙になって空に消えていった。

8月。アイツの墓参りに富山へ行った。アイツのお母さんが絵を注文してくれて、張り切って作ったら大きくて、もっと小さいのが欲しいと言って結局2つ購入してくれた。だからこの機会に直接持っていくことにした。アイツの実家のベルを鳴らすとお母さんが出てきた。部屋に案内されてお線香に火をつけ、手を合わせて挨拶した。何も言うことはなかった。何かコトバにすれば泣き崩れてしまいそうだった。

ぼくは生きていてアイツは死んだ。ぼくはアイツと共にこの20年を生きてきた。20年前にやりたかったことをしている。

死ぬということは、姿カタチが消えて無くなることだけれど、アイツは記憶のなかに残っている。今も。遠くに引っ越した友達に似ている。ただ連絡を取る方法がないだけで。

ぼくたちはアイツと一緒にやってたバンドを今も同じ仲間と続けている。練習には来ないけれどいつもアイツがいる。

もう更に20年。表現を続けようと思う。もっと社会全体に染み渡るように。水のように。高いところから低いところへ。そのためには自分が登らなければならない。社会のピラミッドへ。魂を奪われずに。世界の片隅から反対側の世界の片隅まで届くように。

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