いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

種を蒔いて芽を出して育てて夢を見る。

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たくさんのことが同時に起こっている。それらは自然発生したわけでもなく、種を蒔いていた物事が芽を出している。それは比喩でもあり、まさに文字通りでもある。

お盆は妻の実家、長野に行って久しぶりに休んだ。ほぼ何もしなかった。ご飯を食べてお酒を呑んで買い物に行ったり。休みも必要だけれど毎日の生活自体を創作していると、休まないリズムの方が調子良かったりする。休むと社会のあれこれにリンクして調子悪くなるところもある。自分の生活をつくることは生きる環境を構築するのだから、生き物としては生活を作っている方が快適なのだと思う。お休みしたからそれを知れたのだから、それはそれでよかった。つまりこうして文章にすることがその仕事を果たしている。何をしても自分のコトバで書き記すことをすれば、それは糧になる。

ぼくが生きている環境は大地のうえにあって、町よりも自然のなかにある。景観をつくる仕事をしているので、毎日緑に触れている。刻々と景色は変わっていく。だから自分の環境との関わりが気になって以前のように長く離れられなくなってきた。自分が土地に根を下ろし始めている。

お盆前にコスモスの種を蒔いた。お盆が明けてもう芽が出てきた。芽が出るのはコスモスだけではないから、それ以外の草取りをしている。コスモスがよく育つように必要ない草を手で抜いている。昨日それを見た人は驚いていた。「こんな気の遠くなる作業をするんですか?」と。

妻とぼくも気が遠くなったし、ほんとにできるのか疑っていたけれど、やってみると案外なんとかなるのかもしれない。これはアート制作であり、この作業が傑作をつくると信じている。どうなるか分からないけれど目の前に現れたやるべきことに集中すれば、それは何かしらかの収穫になる。

今年はひとつ展示が決まっていて、その準備がはじまっている。今回の展示は販売するギャラリーではないので作品を発表するだけだ。それだけにコンセプトを尖らせてぼくたち夫婦の活動を作品で伝えたいと思っている。

開拓している里山も魅力的な場所になってきて、友人が遊びに来てくれるようになった。先週は音楽の友達がDJ KENSEIさんを連れてきてハイブリッドカーで発電して小さなライブを披露してくれた。KENSEIさんは「ここには可能性しかないね。終わっていくことや、混乱していくことが多い時代に、ここにははじまりしかない。今日はここにクラブができた記念日だね」と言った。

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北茨城にUターンしてきた20代と小水力発電を計画している。先に書いたように電気があればいかようにも遊ぶことができる。ぼくたち夫婦がしていることは、生きるための芸術、生活をつくること、目の前の景色をつくること、ここにあるものを最大限に活用する、ここにある、coconialismというコンセプト。ぼくはコンセプトも創作している。もしかしたらそれがぼくのアート活動かもしれない。電気もつくりたい。ぼくに知識も技術もないけれど、20代の彼が主導して現実的な計画に落とし込んでいる。

そして来年には、この里山にキャンプ場ができようとしている。その準備としてアートキャンプというプログラムを開始しようとしている。

もっとも大きな収穫は10代からやっているバンド活動だ。今年になって活発化して、新曲もできて、ライブも好評で充実している。しかし音楽活動はお金にならない。そこをどうにかしたいとも思うけれども、まずは30年近くかかって仲間のチカラを借りながらも、理想の音楽を作れているという奇跡に感謝したい。

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同時に起きているこれらの芽がぼくを活かしてくれる。たとえ大きな収入にならなかったとしても。そして毎日を豊かに彩っている。それは絵画のようにイメージして日々をつくるからこそ見える景色だ。