いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

反逆の段取り

「自分の畑を耕しなさい」というヴォルテールのコトバが頭の中に刻み込まれている。

突然に忙しくなった。というのも、トラクターで耕してもらった耕作放棄地にコスモスの種を蒔く段取りが悪かった。せっかく耕してもらったのに雑草が生えるまで放置してしまった。慌てて妻と種蒔きを計画するも、どうやっても草を取る必要があった。

爪のたくさんついた農具、レーキで地面を掘り返す。根っこや草を取り除く。作業はそれだけだけれど、田んぼ3枚分は気の遠くなる広さだった。

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妻と2人で朝と夕方に数時間づつ作業した。日中は30度を超える灼熱でとても仕事はできなかった。ほんとうに温暖化は進行している。どうする人類よ。

作業をはじめると、一日どれだけやれば終わるかイメージできた。一方で体力的や天候など不安要素も見えるので、今日やるべき分をクリアしたら、そこから明日の分を少しでもやっておく必要があった。アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンは「今日できることは明日に延ばすな」「仕事を追え。仕事に追われるな」とコトバを残している。

火曜日にはじめて、水曜日の日中はギャラリーとの打ち合わせ、クルマのナンバー更新があって水戸にいき、そのついでに県立図書館で「ブラックジャコバン(C・L・Rジェームス)」「言語と呪術(井筒俊彦)」「無人島(ジルドゥルーズ)」を借りた。前の2冊は値段が高騰してて買うの躊躇っていた本だ。やっと手にできた。その水曜日の早朝、4時から8時までと16時から19時まで草取りの作業をした。驚いたのは日が暮れると同時に蚊や虻や小さな虫が活発化して襲ってくることだ。吸血鬼やホラーに定番のイメージそのままだったから逃げるように撤収した。

まるで登山だった。頂上を目指すように、コツコツと自分の身体を駆使して進むしかなかった、ほかの誰もやってはくれない。よいことだ。覚悟できる。木曜日までには作業を終わらせたかった。

ラッキーなことに木曜日は曇りだった。霧ほどの雨がたまに降って仕事を手伝ってくれるようだった。こんなとき自然に感謝するのかもしれない。もしくは、これまでの働きが報われたと神に感謝するのかもしれない。

おかげで3日目の午前中に種蒔きは終了した。久しぶりに筋肉痛になるような作業だった。けれども心地よかった。桃源郷づくりの師匠カミナガさんが言うところの「苦しみと喜びが同時にやってくる」これだった。苦しみのカードを引いても大丈夫。それを引き受けて、やがて捲れば喜びに変わる。

人間は大地に働きかけて糧を手に入れ生きてきた。けれども、その労働の苦しさも軽減したかった。その一部は道具や機械を発明するきっかけにもなった。つまり進化する理由にも。もう一部分は、他人に押し付けることで解決した。つまり自分の苦労を他人に押し付け、自分は楽をする。この連鎖が社会を不幸にしているように思う。

イギリスの人種差別をテーマにした映画「スモールアックス」で、我々がどのような歴史を辿ってきたか、それを知ることだ。自分のルーツを知れ。ブラックジャコバンを読め。というシーンがあって、この本を借りてきた。

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そこには植民地主義時代の凄惨な奴隷制度の現状が書かれていた。ぼくにはどうしても、この出来事が自分に関係ないとは思えない。何百年も前の、遠い海の向こうの出来事が。今ぼくが生きている現実と繋がっている、そう感じる。それは音楽からのメッセージに託されて伝わってきた。それでロックのルーツを辿る文章を最近、書きはじめた。ところが溢れて止まらなかった。これは次の本にできるかもしれない。

 

それはこんな文章ではじまる。

ボブ・マーリーは「REBEL MUSIC(反逆の音楽)」でこう歌う。

どうしていけないなんだ
広い野山をぶらつくのが
どうしていけないんだ
好きなように生きるのが
俺たちは自由が欲しいだけ

I,REBEL MUSIC
I,REBEL MUSIC
WHY CAN'T WE ROAM THIS OPEN COUNTRY
OH WHY CAN'T WE BE WHAT WE WANT TO BE
WE WANT TO BE FREE