いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

本を出版した。流通も出版社もなし。自分で本をつくること。

本を出版した。これはひとつの結果であり始まりでもある。常に自分のテーマになっている「BEFORE AFTER THE END」の循環。

ぼくは本が好きで、そもそも本をつくることから自分のアート活動は始まった。スケッチブックにコラージュして文章を書いて、ページをめくり物語が進んでいく。

文章を初めてまとめて書いたのは大学の卒論だった。美大ではないけれど人文学部芸術学科で多少の実技と、そのほかは自分の興味について自由にレポートを書かせてくれる学部だった。大学のとき、ゼミの先生にヴォルテールの小説「カンディード」を薦められた。この本はマイベスト10の上位にいつもある。卒論はレーモン・ルーセルについて書いた。

27歳のとき、交通事故をきっかけに本気で創作活動をすると決意して取り組み始めたのが本作りだった。最初期はスケッチブックのスクラップブック。やがてパソコンで文章を書くようになって、ペインティングやコラージュをフォトショップイラストレーターを駆使してインデザインでレイアウトするようになった。そうして2011年にグラフィックノベルをつくった。ところが、そんな本を本気で取り扱ってくれる出版社もなかった。シュルレアリスムの研究者の巌谷國士に当時の展示のチラシを大学宛に郵送したら会期が終わってから電話をくれ「面白いよ」と励ましてくれた。グラフィックノベルは送ったかどうか覚えてない。結局は自費で印刷した。すごく大きな決断だった。もちろん流通会社と取引もできなくて、いろいろ営業した結果、BEAMSのバイヤーさんが興味を持ってくれ、BEAMS ARTで販売してくれた。

2013年に本格的にアート活動するため海外を旅して、滞在制作をして、その記録をまとめた本を作った。またもや出版社を探したけれど、芸術の本なのか紀行文なのか分類できないから売れない、芸術家なら文章は書かないほうがいい、実績がない人の本は出版できない、とかの回答で、結局2015年に自費出版した。しかしグラフィックノベルのときにはなかったSNSのおかげで多少は売ることができた。さらに買ってくれた人のひとりが出版社で、幸いにもその会社から出版してもらることになった。

もうそれだけ本は売れると思った。本は一般的に、著者が書いた原稿を編集者がまとめ、出版社から流通会社を経て書店に並ぶ。膨大な数の書籍が日々出版されている。だから、知名度のない著者の本を書店で手に取るのは、砂浜で一粒の砂をみつけるほどの確率だ。だから出版社は、目立たせるために広告を出したり、お金を払って本屋さんで平積みにしてもらったりする。結果から言うと、出版社から出した本は、それなりに売れたけど、会社が潤うほどは売れなかった。それでも出版社は二冊目も出してくれた。

本は出版してそれで終わりではない。読者の手に届けるという大きな使命がある。流通会社は本屋さんに本を流通させてくれる。そのためには2000部以上を印刷することになる。それが全部売れるなら願ったり叶ったりだけれど、売れなければ返本されてしまうのだ。

この本を出版するという流れにいつも違和感があった。ひとつは自分に抜きん出た才能がないということでもある。だから出版社に選ばれない。20年前だったらそれでゲームオーバーだった。けれども今は自分で本をつくることができる。出版社から出すメリットはたくさん売ってもらえることだ。けれどもたくさん売れないのなら出版社から出す必要もない。

ボブディランのコトバを思い出す。
「1万人に向かって歌うより50人の前で歌った方が伝わる」

たくさん売れないから諦めるべきなのだろうか。本としての存在理由がないのだろうか。手を掛けてつくった野菜を売るように、顔の見える範囲で本を売り始めて、それが積み重なってやがて経済的にも潤うようになれば、それでいいのではないか。時間をかけて本を売るということを再構築できるんじゃないだろうか。

そういう理由で出版レーベルをつくった。地風海(ちふうみ)。妻ちふみの名前とサーフィンをイメージした漢字を当てた。流通会社も使わないことにした。こうして新しい本との付き合い方がはじまった。SNSで宣伝して、時には直接、手売りしている。ちょうど9月あたまに個展をやったのでそのタイミングで販売した。いまのところ80冊ぐらい売れただろうか。この人たちは我が出版部門の大切なはじめてのお客さんだ。次の作戦として、知り合いのメディアに連絡してインタビューを2本してもらうことになった。それでこの文章を書いている。改めてなぜ本をつくるのか考えるために。

それから小さな書店に行って直接本を卸そうと考えている。出版社も流通もないから著者と本屋のダイレクトだから本屋にとっての利益率もいい。

なぜ本を売るのか。自問自答しておく。表現には源泉がある。奔流するイメージ、その流れがはじまるところ。それがオリジナリティだ。本というモノはぼくの原点だ。それをつくりたくて表現をはじめた。小説家になりたいということでも編集者でもデザインでもなく本をつくりたかった。この全体性に自分のオリジナリティがある。この源流へと遡行するのも自分の性分だ。原始性。技術以前の衝動。必要が技術や論理を先行するとき。それを模索するために、いろいろな技術に触れようとするのかもしれない。これは今書きながら考えたことだ。きっとまだ深層がある。

本には「伝える」という機能がある。伝える必要性から本は印刷されるようになった。ぼくには伝えたいことがあるらしい。本にするほど。伝えるということの本質を明らかにするエピソードで今日は終わりにする。マホメットだ。イスラム教の創設者として知られるマホメットは商人だった。ある日、洞窟へいくと声が聞こえて驚いて家へ帰って奥さんに洞窟で悪魔に出会ったと話した。すると奥さんはどうしてそれが悪魔だと判断できるのか、もう一度話を聞いた方がいいといわれマホメットは洞窟に戻る。話を聞くとそれは神様からのメッセージだった。マホメットはその教えを伝えなければと、妻に話し、親せきに話し、町の人に話し、ときには疎んじられ、ときには争いにもなって、それでも少しづつ伝えていった。それが今のイスラム教だ。その教えを今に伝える本がコーランだ。

そうだ。
ぼくの本は「廃墟と荒地の楽園」
一言で説明すると「競争しないで生きる」
ここで売ってます。

https://artsales.theshop.jp/items/51443198