いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術という表現について

宮本武蔵が遺した「日常が戦場になれば、戦場が日常になる」という文章を読んだとき「生活が芸術」になったらどうなるんだろうと閃めきました。意味は伝わるでしょうか? なんとなく分かるんですが、まるで禅問答のようで、具体的に生活は芸術にならないんです。

けれども芸術は生きるための技術だったんです。道具を使うこと、文字を発明したこと、住居をつくること、器をつくること、そういう生きるために必要なものを作ることから始まっているんです。もちろん、長い歴史のなかで芸術の意味もカタチも変わってきました。だから芸術とは何かと問い掛けたとき、それぞれの考えや興味によって始点/視点は変わるんです。

じゃあ「生活芸術」は、どうかと問い直してみると、人間が生きるためにしてきたことの探究になって、それが現在の芸術かどうか分かりませんが、その原点からやり直してみて、僕たちの現在の日々の暮らしと線で繋いでみたいんです。描くという意味では、そういう領域を描き出そうとしているんだと思います。だから、自分がしていることを説明するには、やっぱり芸術ということになるんだと思っています。
2020.12.1