いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

人生に勇気を。失敗を恐れない気持を。

f:id:norioishiwata:20170522142317j:plain北茨城市の富士が丘小学校をアトリエにして、もうすぐ1週間。暮らしている辺りの地理も理解できてきた。新しい町にいったら、ぼくは走る。それがもっとも地域の様子がわかる。どこに何があるのか。

北茨城市に来てみれば、ひとつの冒険が終わったように思う。それは空き家を巡る旅。海の傍の空き家に暮らしたいと夢見て3年が過ぎ、それまでに5つの家に暮らした。家を改修できるようになった。どんな場所にいても創作活動できるようになった。

日本で自由に生きたければ、出来るだけ古い空き家に暮らすことだ。家賃も安いし、古い家には日本の伝統文化が息づいている。日本人は、生活のなかに芸術を見出してきた。古い家には自然と共にある美しい暮らし方が刻まれている。

敬愛する日本の表現者を選ぶなら、宮本武蔵柳宗悦宮沢賢治宮本常一岡倉天心。その岡倉天心が、人生の後半を過ごした拠点が、北茨城市の五浦。天心の建てた六角堂からの眺めは素晴らしく、当時、ここに居を構えるなんて驚くばかり。それこそ何もなかっただろうが、そこにはすべてがあった。

f:id:norioishiwata:20170522142358j:plain歴史を振り返ってみれば、日本人にとっての芸術とは、まさに暮らしの芸術だった。茶道をはじめとし、自然素材でつくられた家や生活そのものに芸術を求めた。
岡倉天心の時代からはじまった西洋と東洋の接衝。もはや、そんな境界線すら見えないほど西洋に傾倒している現代。心が震えるほどの美しさは、どこにあるのだろうか。

自然なくして「美しさ」は宿らない。都市生活に「美」があるとは思えない。でも、つくることはできる。
青空や田んぼ、カエルの鳴き声、溢れかえるような草々の緑、空へと伸びる木々。何百年も暮らしを見守る大樹。岩に砕ける波。透き通る青い海。若い竹の模様、どれもが美しい。

f:id:norioishiwata:20170522144147j:plainぼくは、都市から里山へと生活の拠点を移すうちに生活芸術というコンセプトをみつけたが、それは北茨城市で消えようとしている。なぜなら、ここでは、自然と共に暮らすのが当たり前だから。でもこの当たり前もやがて失われていく。だからこそ、これを表現したい。柳宗悦の民藝だって、どこにでもある名もない陶工の手仕事を評価してのことだし、宮本常一は、消えようとする当たり前の日常を記録し続けた。宮本武蔵は、日常が戦場と思えば、戦場は日常だと説いたし、宮沢賢治は、農民芸術論として、自然のなかで営む農民の暮らしを芸術にすることを夢見た。
岡倉天心は、自然と人間と芸術の融合を東洋の芸術や思想から描いた。ぼくはまだ何もしていない。これまでやってきたことを糧に、ここからスタートしたい。自然農で畑をやってみようと思う。廃材を集めて屋台をつくろうと思う。冬に向けて服をつくろうと思う。自分が理想とする衣食住を表現してみたい。

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f:id:norioishiwata:20170522142702j:plainどうして、新しいことをやらないのか。できないことをやれば、どうやればできるのか分かる。それが技術だ。
できなくて当たり前だし、失敗して当たり前だし、3年も5年もしつこくやれば、それはそれで技術になる。失敗を恐れたら、成長は止まる。それが大人だというなら、ぼくは永遠に子供のままでいい。

なによりも、社会と環境のバランスと循環のなかにある生活基盤を自らの手でつくり出し、そのうえで創作活動すること。美しい理想の芸術。自然のなかに生きる生活を表現して、実りある1日を過ごすことができれば、その日々が最高傑作になる。

 

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「生きるための芸術」

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