いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

檻のような社会から脱出し大空を飛ぶ自由な鷲になる

ぼくは芸術家になった。40歳を前に退職して妻と二人で表現することを職業にすると決意して、7年が経って、ぼくは妻と二人で関東の最北端、北茨城市の山のなかの集落に生活環境をつくった。3年前に北茨城市が芸術家の地域おこし協力隊を募集していて、それがきっかけでこの土地に出会った。海があって山がある。3年間の活動を経て、東京生まれがいわゆる地方の田舎に暮らしている。

社会について言葉にするとき、あまりにも大きな状況があり過ぎて、共通認識としての「社会」を定義することが難しい。ぼくの活動の中心軸は社会に対抗している。抵抗ではない。けれども従う訳でもない。ここでは、社会が常識的に要求する数多くの「しなければならないこと」、例えば、働くこと、お金を稼ぐこと、住むこと、食べること、何かしらのコミュニティーに属すること(家族だったり学校だったり会社だったり、地域だったり)、生きていく上でのそうしたデフォルト(初期設定)について話したい。そしてデフォルトを書き換えることを提案したい。

子供であれば学校に行かなければならない、高校に行かなければならない、大学に行かなければならない、大人になると就職しなければならない、こうした要求が社会から突き付けられる。全員分のイスが用意されていないので当然、競争になる。良い学校に進学する。良い会社に就職する。なんとか社会の中にイスをみつけて腰掛けるようになる。

けれども、社会が用意するイスに座りたくなかったら? そこに自分が欲しい未来がなかったら?

ぼくはずっとそうだった。そもそも競争が好きではなかった。もちろん負けるからという理由もある。それに対して努力しないというのもある。そもそもなぜ競争するのか、それが心の奥で納得できなかった。中学生の時に音楽に出会って、社会の要求とは別の何か自発的な表現に触れた。それを「居場所をつくる表現」だと今なら名付けることができる。

だから、ぼくは「居場所をつくる表現」なら何でも好きで、音楽体験や読書、漫画やアニメ、映画、ペインティングや彫刻、インスタレーションなどのアート、様々な表現を楽しみ、過去の表現者たちのやり方を学んで、いくつか自分でもやってみた。表現者たちのメッセージを現実世界に表現したかった。だからなんでも吸収して、その表現はカテゴリーの枠を超えて、あちこちに散らかっていった。音楽をやったり、絵を描いたり、小説を書いたり。あるときは何がやりたいのか分からないと言われた。何かにしたいとは思っていなかった。未だ触れらていない未開の領域をみつけて、そこに表現を置いてみたかった。それは随分、奇妙なモノだったのかもしれない。

まずは自分の想像するモノをカタチにすることからはじまる。何でもいい。自分を動かすことが表現だ。動くのは自分。自分を思い通りに100%動かすことができれば金メダルを獲れる。スポーツであれば。けれども、それでは競争になってしまう。勝ち負けが生まれてしまう。それは気持ち悪い。だから、勝手に種目をつくることにした。ぼくは「生活芸術家」になった。そういうジャンルをつくった。生きていく上でのルールを書き換えて社会に参加している。こっそりと。価値観を初期設定から更新して競争のない領域に生きている。

・住むこと
屋根があって床があって壁があればいい。廃墟を改修して、できるだけお金が掛からないようにした。家賃はゼロ円。薪で火を焚き、井戸水。トイレはコンポスト。電気代だけ。

・働くこと
思想家ハンナアーレントは人間の活動を「労働・仕事・活動」に分類する。労働とは生きていくために、つまり食うために働くこと。仕事とは、自分という人間の表現を創造すること。時空を超えてその足跡を残すために。活動とは自分も含めて多数の人のためにできること。この分類を取り入れている。お金を稼ぐことを課題にしていない。

・収入
芸術家=作品をつくって売る+集落支援員。いま暮らしている限界集落の行方を見守る仕事。月給20万円+α

・食べること
耕作放棄地を畑にして少しづつ食べ物を作っている。それよりも近所の人たちが野菜や米をギフトしてくれている。たまに買い物をして、今あるものを食べている。

・居場所
北茨城市が「生活芸術」というぼくの考案した活動を理解してくれ、ここに暮らして活動すること自体を仕事にしてくれた。そんな奇跡もある。ぼくの居場所は、この限界集落北茨城市、ぼくたち夫婦の活動を楽しんでくれる人たち。それがぼくの所属するコミュニティーになっている。暮らす土地を提供してくれているお婆さんとぼくら夫婦はまるで家族を演じている。食事や空間をシェアする仮想家族とも言える。

ぼくは妻と二人で活動するときの名前を「檻之汰鷲(おりのたわし)」と名付けた。「アートのチカラで檻のような社会から大空を飛ぶ自由な鷲になる」という意味だ。名前をつけたのは2002年のことだ。20年も前になる。それだけ続けると、それだけの説得力が生まれる。目的は勝つことではない。賞を獲ることでもない。生きることだ。生き延び死ぬまで続けていくこと。

実は、社会にはこれだという答えは存在していない。すべての人が模索している。学者だって研究しながら問い続けている。けれども何もしなければ圧倒的なまでのこれだという常識の波が人生を飲み込んでいく。多くの人は、その中に自分の居場所をみつけることができる。それもサバイバルだし素晴らしいことだ。けれども、仮にそうでなかったとしても、自分が信じる小さなモノを育てていけば、居場所はみつかる。ぼくにとっては妻がそうだった。ぼくの表現を評価して背中を押してくれた。そうやって少しずつ理解者が増えていけばいい。

お金持ちでも貧乏でもないし、忙しくもないし暇でもない。毎日、楽しく、したいことに溢れていて、食べ物の心配がない。家があって暑さや寒さから身を守ることができる。ここには競争もないし奪い合もない。大きくもならないけれど、かと言って遠慮して小さくなる必要もない。等身大の自分が生きていける場所。

ぼくがいまいる場所から俯瞰すれば、「住むこと、働くこと、お金のこと、食べること、居場所」この5つについて検証して、再構築していけば、誰もが、そうできると想像している。もちろん、それを望む人がいるなら。だから、この領域に名前を付けて、どうやったら辿り着けるのか、それについて書きたいと思う。

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新しいサインをつくった。

檻から飛び立つ鷲が見えるだろうか。