3冊目の本を書き終えて次の物語が始まっている。廃墟を住居にして、荒地を開拓している。耕作放棄地を利用させてもらっている。ある意味で、日本の地方では合法的なスクワットが可能だ。スクワットとは、ヨーロッパで空き家や空きビルに不法侵入して占拠してしまうことを言う。合法的ならスクワットではないけれども、放棄している空間を再利用することをどう名付けたらいいだろうか。とりあえず「開拓(カイタク)」と呼ぶことにする。
その意味で芸術を開拓している。絵を描くことにそれほど拘りはない。それより人間が生きるためにしてきた活動に興味がある。そもそもなぜ絵を描いたのか。人間が何かを表現するようになったのは必要があったからで、たぶん想像するに「祈り」はかなり早い段階に存在していたのだと思う。これはもっと調べる必要があるけれど、モノづくり、つまり表現することは「祈り」と結びついていた想像した。それから人間が生きるために作ったモノの早い段階に器があったと思う。引用するまでもなく縄文土器はその代表だし、もちろんそこにも祈りがあった。
表現を開拓するために、窯をつくって焼き物をつくりたいと考えた。何をつくろうか考えている。必然が求められる。意図を超えて生まれてくるカタチ。「思考/試行」しているうちパズルのピースのようにぴったりと嵌ることがある。そのために手を動かす。開拓するうちに未だ情報になっていない領域へと踏み込んでいく。
もうひとつは色に興味が出てきた。身の回りのモノをつかって人間がどのように色と出会い、表現していったのか。とても興味がある。以前、岐阜県中津川市に暮らしたとき、作品を藍染めしたくて、藍を探したら、藍を育ててつくっている作家さんがいて、譲ってもらおうと訪ねてお話ししたら、とても譲ってとは言えるモノではなかった。もうその色そのものがその人の作品だった。
「色をつくる」という行為も人間が生きるためにしてきたことの技術に数えられる。今読んでいる「日本の色を染める(吉岡幸雄 著)」に詳しい。
紙をつくること。これは民俗学者の宮本常一さんの本を読んで書いてあったとこで、白い紙は高級品で、むかしはもっと質の悪い紙をつかっていた。鎌倉時代なんかだと、何回も濾してつくった粗末な紙を使っていた。それでも特別なモノだった。
現代では「モノ」は湯水のように使い捨てする存在だけれども、そもそもは誰かがつくらなければ存在しなかった。生み出すには労働が常に要求された。モノをつくるひとたちは生産性を高めるために工夫した。それが技術になった。工夫が積み重なって経験ある人しか作れないものになっていった。
すべてのモノに専門家される以前の誰でもつくったカタチがある。柳宗悦の民藝は、職人が無心になってモノを生み出すそのカタチを拾い上げた。名もない職人たちが生きるためにつくった器や道具。そのもっと前の素朴なモノのカタチを拾い上げてみたい。
陶芸、色、紙。この3つへの興味を作品化したいと思う。未だやったこともないこの技術はそれぞれ専門分野になっているから、かなり無謀だと思う。それでも、この3つにも専門化される以前の無垢な状態があったはず。
まずは、荒地を開拓して、焼き畑をするからそのときに、粘土で成形したオブジェを野焼きするのがいい。「生活すること」と「ものをつくること」が日常のなかで一致する。これが求めている必然だ。