いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

廃墟と荒地の楽園ー最後の章に寄せて 

「生活する」から「生活をつくる」にライフスタイルを変えた。とくに変わったのは、会社で働いていないことだ。自分の仕事をつくった。ひとつは作品をつくって売ること。もうひとつは限界集落の再生。

「生活」をつくるために生活とは何か考えて分解して再構成して、今の暮らしに辿り着いた。水は井戸。トイレはコンポスト。風呂は薪風呂。調理するのは薪ストーブ。夏はストーブを焚かないのでカセットコンロを使っている。電気は、契約してコンセントから使えるようにした。

生活をつくる理由は、この時代のこの社会に対して何ができるのか、その答えだ。2020年。決して安定した良い時代ではないと思う。日本は高度成長期を遥か過去に、それでも経済成長しようとしている。おまけにコロナウィルスが世界を覆っている。

どんな時代にだったとしても「できることをする」以外に方法はない。たった自分ひとりが何をしたところで変わらないと思うかもしれない。いつの間にか、ぼくたちはそう考えるようになってしまった。きっと子供の頃は、何でもできるような気持ちがあったはずだ。ぼくはヒーローになりたかった。変身して敵を倒す力を手に入れると思っていた。変身さえできれば。

ところが現実は、ぼくを何者でもない、何も才能のない人間に変えてしまった。走るのも速くないし、勉強もできないし、成績に表せばそれはもっと明確になっていく。親や大人は「現実を見ろ、夢を見るな、諦めろ」と言う。

そう思わされていた。ぼくはそういう社会を変えたいと思う。それは自分が自分を信じることから始まる。俳優をやっている先輩が教えてくれた。競争はもう終わりだ。上位入賞者だけが参加できるゲームだったら、こっちからお断りする。ぼくは、走るのは遅いけれど、長距離も走れないけれど、それでも走る。走るのが好きだから。自分の身体の健康のために。ぼくは絵を描く。入賞しないかもしれないけれど、没頭しているのが好きだから。そういう時間を持ちたいから。文章を書く。自分が何処からやってきて何処へ行くのか、それを知るために。

社会が発展するほどに世界は狭くなっていく。便利になるほどに不便になる。遠く離れたところが近くなったように思えて、代わりに近くは見えなくなっている。コロナウィルスによって移動を制限されて分かった。ぼくが暮らす地域もひとが街へ出かけなくなった結果、目の前のことに取り組むようになった。つまり、耕作放棄地を畑にして、野菜をつくる人が増えた。草刈りをして土地を手入れする人が増えた。どこにも行かないから、地域での会話が増えた。目の前のことより、隣の芝生にみんな夢中になっていただけだ。メディアがそういう眼差しを生活に送り込んでいる。自分が充実すれば、他人を思いやる余裕が生まれる。バリ島のバビグリンだ。ぼくが暮らす地域のひとたちも野菜を食べろと持ってきてくれる。それは家があり土地があり、生活を自分で持っているから、その余裕が生まれるのだと思う。

芸術を表現することと人生をつくることは表裏一体だと考えている。つまりは人生をつくることが表現だと。だから表現を誰かの評価や経済効果ではかることは、人生に価値を付けるのと同じくらにくだらない。それはすべてに言える。土地に価値がつくことも、家に価値がつくことも。絵に価値がつくことも。もちろん、ぼくは、こうした経済社会のなかで生きている。だから変えたい。どこから湧いて出てきたのか分からない価値基準に照らし合わせて、生まれる前のカタチや夢や思いを手放すほど、残酷なことはない。大人は子供が描く絵を見て喜ぶ。なんて無邪気なんだろうか。大人がそんな絵を描くと下手だと貶す。そんな心の在り方が生きにくい社会をつくる。

ぼくが暮らしている集落の土地は、評価額にしたら、それは安いだろう。だからと言って、この大地に価値がないかと言えばまったくそんなことはない。もし、そんな価値基準に従っているならいますぐに捨てた方がいい。そして自分の好き勝手に基準をつくればいい。日本の80%は森林だ。日本列島は海に囲まれている。春夏秋冬。この地球上すべてのバランスを体験できる四季がある。当然ながら大地は豊かだ。自然を生活に取り入れることができれば、0は100にもなるし、100を10に変えることもできる。自然は分け隔てなく、働きかけたひとにその恵みを与えてくれる。

ぼくは自然のなかの芸術を探求したいと思っている。それがどういうモノなのか未だ分からない。ぼくはいま46歳。あと40年ぐらいは生きられるだろうか。田舎に暮らしてお年寄りと過ごす時間が多くなって、自分が80歳になったとき、どうなっているのか考えてみた。健康で動けた方がいいし、芸術家としてそれなりに評価されて、作品が売れて生きていたいと思う。その作品が自然を駆使してつくられていたら美しいと思う。

つい最近まではいつ死んでもいいと思っていたけれど、妻チフミより自分の方が長生きして、死ぬときは面倒をみたいと思うようになった。