いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

大切なものは何か。信じることはチカラを持つ。

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大切なものは何か。ぼくにとっては、はっきりしていて「つくる」こと。これは生まれ持った才能だと信じている。信じることはチカラを持つ。ときにチカラは社会にとって邪魔なものになる。だからそれを抑えようとする。おまえは何者でもないと呪いをかける。信じるチカラを失うと道に迷う。道に迷うと自分の中から湧き上がることではない別のことに信じるチカラを託してしまう。

「つくる」という行為を通じて自分が作られている。未だ見たことないモノをつくりたい。なぜなら、未だ知らない自分に出会いたいから。自分をつくることは「生きる」ことに直結している。「つくる」と「生きる」は同じ道を歩いている。その道の路傍には作品が並んでいる。それは道に草が生えるように「作品=WORK」が産み落とされていく。まず先に行動がある。アクションから作品は生まれる。そうでなければならない。考えて生まれるのであれば、それは思考の中で練られた概念が産み落としたモノになる。行動の中で掴み取り、つくられるものは、空から生まれる。ぼくは、行動するなかで触れたモノを掴み、それらを組み合わせ加工する。運動がそのカタチをつくる。思想とはまた別のところに表象がある。

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トウモロコシの皮と木くずを材料に紙をつくった。土器をつくり始めたときから、モノづくりで人類史をやり直してみようと思った。ぼくは自分の生活空間をつくってきた。大地を開拓し水を手に入れ、火を焚いて風呂に入っている。どうやら1万年ほど前からやり直したいらしい。それでも、電気は使っているし、インターネットも、iphoneSNSもやっているし、amazonで買い物もする。最新の音楽も聴いている。人類の歴史を俯瞰して、いいところだけ切り取り組み合わせ編集している。つまりライフスタイルをコラージュしている。ひとつひとつを検討してYES/NOを選んでいるのだから自分で作った生活がとても気持ちいい。

生活をつくった。だから、いよいよアートするために必要なモノを作り始めた。

自分の道が拓け、その前を誰も歩いていない。ほかにはその道を照らす光がない。だから自分を信じて進むことができる。そして作ったモノは、どう評価されようとも、自分たちにしか作れない唯一無二のモノなのだから、きっちりと社会に提示する。誰かが否定するなら、そこにはそう届いたのだから、また別のところへ伝え続ける。もちろん、受け入れられ誰かの心を動かし、その人生を豊かにするようなモノをつくりたい。このブログも自分の「今」という最前線の気持ちや考えを言葉にしながら、読んでくれる誰かに伝えようとしている。一番新しい自分を理解してもらおうとしている。ぼくの表現はメッセージだ。それぞれが持っている可能性や人間がいかに自由かということを自分がまず先にそれを信じる以外に道は拓けない。Do it.

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