いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

働くとは「ハタヲラクニスル」

朝6時に起きて海に行った。サーフィンができると期待したけれど波がなかった。

毎日が過ぎていく。過ぎていく時間の中、やりたいことに没頭して生きている。こういう風に生きたかった。

 

コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されて、世の中が動き出したのか、いくつかの仕事と友達からの連絡があった。

仕事をしないと生きていけない。お金を稼がないと生きていけない。そうなのかもしれないけれど、作品を作って生きることのずっと向こうには、依頼される仕事ではなく、自らが生活のサイクルの中で、誰に依頼されることもない品を生み出すことで、生き延びていく、というヴィジョンがある。

でも現実的には、社会に参加するとは「ハタヲラクニスル」で、つまり周りの誰かのために働いて助けることだと思う。いつも理想と現実にはギャップがある。その狭間にクリエイティブが働く。

 

建築系の雑誌から原稿依頼が来た。文章を書くのか好きで、こうやってしていることが仕事になるのだから、嬉しい知らせだった。

 

あまり見てないInstagramに友達からメッセージで「家を改修できるようになりたいんだけど、どうやったらいい?」と質問がきた。

思い出したのは、自分がそもそも空き家に暮らすようになったきっかけのことだった。

空き家を改修するのは家賃をできる限り安くするための作戦だった。時間は24時間、1週間は7日、それが約4回巡って1カ月、1年、ぼくらはその周期に生きている。その限られた時間をどれだけ住居のために消耗しているのか。家賃が安くなれば、もっと生きやすい、そう考えた。

その取り組みが誰かの役に立てばいい、と本「漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る」を出版した。

 

いま友達からの質問のおかげでアイディアが浮かんだ。空き家を改修して家賃を下げて生き延びることにフォーカスした本を書ける。タイトルは「生き延びための家-Survival for living」もっと実用書としてのテキストを。

 

「ハタヲラクニスル」を生きるための技術にカウントしよう。久しぶりに発見した。次は生きるための技術をナンバリングしよう。ああ、これを綴じればまた本なる。

 

誰かのためにする仕事の傍らに誰にも頼まれない路傍の岩のような品を添えていく。それがきっとアートという仕事だ。自らが放つモチベーションによって存在している、その自立性にアートが宿る。

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