いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 76

朝からアトリエにお客さんが来た。3月に開催された桃源郷芸術祭で、ツアーに参加した学生さんとその友達が、北茨城を訪ねてきてくれた。桃源郷芸術祭のコーディネーターの都築さんと、今年は一緒に企画する予定だと話してくれた。

もうひとりお客さんがあって、林業をやる古川さんが遊びに来てくれた。森を整備して使わない材を再利用する話をしに来てくれた。前回、お手伝いした森の木が使えないか、森の持ち主に話してくれることになった。もうひとつ、古川さんに教えて欲しいことがあって相談すると
「じゃあ、今日やってみるか!」
と言ってくれた。
古川さんは、釣りの師匠になった。

午後は、ガーランドづくりの相談に、アトリエがある集落から最寄りのお店、東屋さんのカズエちゃんがきてくれた。カズエちゃんは、高齢者の健康管理サポートの仕事をしていて、その一環で、ガーランドづくりをやろうと話している。旗づくりは日常では接触できない世代と交流できる貴重な経験。

夕方、古川さんと釣りをするために、河口へ行く。古川さんの釣りのスタイルは、できるだけお金を掛けずに近場でやる。理想的なスタイル。古川さんが山仕事で仕入れてきたミミズが餌。 

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16時からスタートして約2時間、まったく反応がない。場所を変えても反応がないので、そろそろ終わりかなと話したとき、古川さんにヒット。
「きたきた!」 釣り上げると大きなウナギ。

橋のうえから様子を見ていたおじさんが走ってくる。何か言われるのか。
「いやー!見てたよー!素晴らしいウナギだ。これは大きいな」
おじさんは注意するのではなく、ウナギ好きらしく、ここから30分ほどウナギトークがはじまった。 おじさんが言うには鮭もいるらしい。震災前と後では、北茨城の海の地形が変わって、魚がとれなくなったものの、今でもいろんな種類の魚介類が生息している。

最近、ウナギが絶滅危惧種という話題がある。けれども、ウナギは、いろんな川に生息している。千葉に暮らす友達が罠を仕掛けて獲っていたのを思い出した。 天然モノという言葉があるけれど、自然に生息しているという意味なので、本来はゼロ円のモノ。けれども、仲介者が手に入れられない人に届けることで、いつの間にか高級品に変わっている。そもそも、すべてが天然なのだから、自力で狩猟採取する人が食べるぐらいで、ウナギが絶滅危惧種なるはずがない。むしろ動植物が絶滅する環境をつくっているは人間。自然の環境下でウナギが絶滅してしまう危惧があるという話ではない。

ウナギ好きのおじさんは
「ウナギがどこで獲れたかは言っちゃダメだよ。想像してみて、もしここで獲れるって情報が広まったら、ここは釣り人でいっぱいだよ」
想像するだけでゾッとした。

自分の身の回りにあるモノ。それを活かして生活できるのであれば、それでこと足りるのであれば、それが美しいと思う。もっともっとという欲望のエネルギーを何に変えていけばいいのか。変換するにはどうすればいいのか。そこを考えてみたい。 もし地産地消で事足りるのであれば、原発も必要ないし、あんな事故も起こらなかった。遠くから批判するのでもなく、敵をみつけるのでもなく、日々の暮らしの中で、よりよい生き方を実践していく、そんなやり方を求めていたんだと思い出した。