いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

釣れない釣りについて思考する

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朝、起きて海まで走った。目的地の長浜海岸に出ると船がいた。何かを捕っている。浜には釣り人がいる。今日の海はいつもと違う景色をしていた。

思い付いて、少し先の平潟港まで走ることにした。最近、釣りをはじめてから、海のことが気になって仕方ない。釣りを始めたと言っても、自分勝手なやり方で、できるだけモノを買わない方法を模索している。いまのところは、釣れない釣りを楽しんでいる。

そもそも人間は、道具すらも自然からつくっていた。

釣りをやってる人には、バカバカしい話かもしれない。釣りをやってない人にはどうでもいい話しかもしれない。実際、妻のチフミは、釣れない釣りを何をやっているのか、と静観している。

ところが、だ。当たり前とはじめから決めつけているようなところに、当たり前過ぎて忘れられていることが隠れている。社会や文明文化の発達によって失われつつある原始的な、生きるための人間活動、つまり、ほんらいの生活と呼ばれるものは、風化した当たり前の影に隠れたまま消えようとしている。そのわずかな影の名残りに、いまの時代これからの人間に必要な何かがあると睨んで「釣り」をリサーチしている。つまりは、すべての釣り人が師匠になってしまった。そして自分は恥ずかしいほど、間違ったやり方をしている。

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海には魚がいる。けれども、いつでもどこにでもいるわけではない。潮の満ち干きや、プランクトンや小魚などの食料の状況や、潮の満ち干きは、月の満ち欠けに呼応しているし、底に生息する魚、回遊する魚、魚の種類によっても行動が違う。

つい最近まで、やたらと海に針を投げていたのだけれど、魚がいるポイントをみつけなければ、お話しにならないことが分かってきた。インターネットで調べれば、いろいろな情報があるけれども、それは残念ながら自分の興味には答えてくれず、一般的なお手本ばかりが披露されている。自分勝手な妄想に応えるには、つまりのところ、自分でやってみるしかない。

 

理想の条件:
・家の近場で魚を捕る。
・できるだけ道具や材料を買わない。

いまのところ、竿は拾ってきた竹。糸と針は買っている。エサは、浜を掘って砂虫を捕る方法を教えてもらった。ミミズも餌になると聞いた。むかしの人はどうやって釣りをしたのだろうか。それを調べてみたら何か発見があるかもしれない。

 

日本民俗文化体系6「山民と海人」によると、

日本という国土は海に囲まれ内陸の多くが山で、山から海へ注ぐ川の周辺に生活圏をつくってきた。縄文時代貝塚の跡からは、海の魚に加えて川魚もはサケ、マス、ナマズ、フナ、ウナギ など14種類を数える。漁といえば、海に注目が集まるけれども、生活文化の視点からすると、川魚は重要なタンパク源で、狩猟方法が、多岐に渡っていることから長い歴史があることが分かる。日本人は、海や川の魚を生活の糧にしてきてた。

 

ネットで調べていると、川の漁法の一覧があった。

http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kasen/rekishibunka/kasengijutsu12.html

 

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平潟港を散歩してみた。「釣り」という視点で、港を観察すると、違った景色が見えてくる。ちょうど長浜海岸にいた舟が港に戻ってきたので、話しかけてみた。

「お忙しいところ、すいません。質問してもいいですか?」
「何?」
「さっき長浜海岸で舟で何かを捕っているのを見たんですが、長浜海岸は何が捕れるんですか」
クロダイとか、いろんな魚捕れるよ」
「今日は捕れましたか」
「俺は潜ってウニ捕ってんの。だから魚は捕れねえよ」


潜って捕るのは原始的な漁法のひとつ。海には豊富な魚介類が生息している。漁師さんがそれらを様々な方法で捕ってくれるおかげで、食卓に新鮮な魚が並ぶ。できるだけ多くの魚を効率的に捕獲しようとすると、漁の質も手法も変わっていく。より多く効率的にすれば、むかしながらの漁法でコツコツと魚を捕る方法は消滅していく。小さな商店が、大きなスーパーやショッピングモールに潰されるのと同じ構造がある。


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集団や組織のなかで生きることが中心にある時代で、個として生きていく手段や技術を持つことは、武器になると思っている。人間は生まれてから何かしらかの集団や組織のなかで成長していく。やがて社会の一員となる。その社会も決してすべての人に快適な環境を提供するばかりではないし、ときには誤った方向に暴走することもある。だから「NO」と言える強さを持っていたい。それには自然と社会のバランスのなかで、貨幣と採取のなかで、理想のポジションをつくるしかない。

自然の一部である海を知るために「釣り」に興味を持っている。魚を捕ることだけが目的ではなくて、魚を捕る文化がどんなことなのか、観察して、行動して、経験してみれば、そこには、自然のなかで営まれてきた人間活動が浮き彫りになってくる。人間はすべてのことを何千年も続けてきた。意味のないことなんて、ひとつもない。

「魚を捕る」から「食べる」までがひとつのマーケットになっている。「捕る」は漁師から釣り人までを対象に様々な商品や手法、道具が流通している。「捕った魚」が食卓に並ぶまでに、卸業や流通、スーパーや魚屋、などの業態がある。魚を買って食べる側には、どこで魚を買って食べるのかという選択肢がある。どこの魚を食べるのか。その当たり前の行為ひとつが社会をつくっている。生活のすべてが社会活動になって誰かを活かしている。意味のないことなんてひとつもない。


生きるための人間活動を知りたい。そして極力シンプルな方法で魚を捕ってみたい。捕ると食べるをひとつにしたい。新しいシリーズのはじまりだ。