いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

神様が木を数える日

f:id:norioishiwata:20181213231532j:plain

北茨城に帰ると、林業家の古川さんが遊びに来てくれ「今日は神様が木を数える日たがら仕事休みなんだよ」と話してくれた。神様が木を数えるとき木を切ってしまえば、数えられなくて神様が怒るそうだ。実は、風が強く吹く日で危ないという理由もあるらしい。

展示の準備から数えたら一カ月ぐらいは全力疾走してたような気がする。それでもやることが残っている。展示の片付けと、作品の梱包と発送。作品だけがアートではないと思う。生活がアートなんだから、小さな作業も大切だと思う。けれど、そういうことはチフミがやっている。ぼくはまるで役に立たないアシスタント。

二人で協力して、ひとりではできないことをやって、いろいろな目標が達成された。田舎にアトリエを持って、そこで制作に没頭して、作品を売る。田舎という場所が悪いから仕事がないわけではない。やり方を工夫すれば、地方でも生きていける。言うなれば、そういう状況をつくる社会が悪い。ぼくができれば誰でもやれる、その実証をしたいと意気込んでいたけど、やってみると誰にでもできることじゃなかった。ぼくにしかできないという意味ではなく、それぞれがそれぞれのやり方をみつけるしかない、という話として。

「アートで生きていくための10の方法」なんてタイトルがあったら、それは嘘だ。やり方に答えなんてない。

 

ぼくが目指しているのは、絵を売ることじゃない。生きるために絵を売るのは必要だけれど、それはひとつの要素でしかない。絵が売れたからって、それで安定する訳でもないし、独立して生きていくとは、走り続けることだ。

 f:id:norioishiwata:20181213231842j:plain

最近、展示のことで忙しくて走っていなかった。だから、もう走りたくてウズウズしていた。やっと今日の夜、走れた。暗い道を走った。走ると最適化される。思考が整理される。こんな便利なリセット方法はない。

ぼくがやりたいのは「生きる」と真正面から向き合うことだ。お金を稼いでも、右から左に流れていってしまう。冬だから寒くて灯油代がバカにならない。移動するガソリン代が高い。そうやって豊かさは逃げていく。違う。常に資源を捕まえることだ。

今日はアトリエの畑から小松菜を獲って帰った。土があれば野菜が採れる。火があれば暖がとれる。水があれば人間も自然も潤う。土、火、水、木。それらを操って、生活と仕事を組み立ててれば、豊かさは逃げていかない。自然は、丁寧に扱えば、無償で便利を与えてくれる。またゼロから始めよう。もっとシンプルに生きてみよう。

f:id:norioishiwata:20181213234055j:plain