いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 75

44回目の誕生日がきて、免許の更新にいった。違反者講習は月に2回しかやってなく、また日を改めることになった。フジロックの出店のために保健所に検査にいった。毎週火曜日が提出日で、これも日を改めることになった。帰りに市役所の食堂でお昼を食べることにした。なんとこの食堂も臨時休業だった。では、お気に入りの店で海鮮丼を食べようと向かうと、ここもお休みだった。何ひとつ計画通りに進まない日。チフミの提案で大津港駅前の喫茶チャムでお昼を食べた。

そこにあった漫画サラリーマン金太郎を何気なく読むと、すぐに惹き込まれた。漫画のなかにこんな話しがあった。

 「ある商社が、ものを売ったり買ったりではなく、人材を育てるサービスをはじめる。都市圏では、競争が激しく伸び悩むので、地方の過疎地を生活圏にして、一次産業に従事して安い生活費で、もう一度、人間が生きるチカラを取り戻す」という事業の計画案がでてきた。

この漫画は2007年発行なので、原稿が書かれたのはもっと前だ。漫画の題材になるようなことが、いま起きている。まさにぼく自身がこの商社のようなことをしている。

サラリーマン金太郎は、都市圏に暮らす人間の目が死んでいると訴える。働くことは、奴隷ではない。けれども日本の社会構造は、搾取ばかりで暮らしは一向に豊かにならない、と嘆く。金太郎は日本のひとりのサラリーマンとして、日本を変えてやる、と燃えている。ぼくも燃えている。

午後は波の作品をつくった。スケッチだ。できるだけシンプルに波のカタチを捉える。最近は波の作品をつくってばかりいる。

夜は大学の恩師から依頼されたイベントのチラシをデザインした。"Planetary Atomospheres and urban society after fukushima"という本の出版イベント。最近描いていた波の絵は、チラシの挿絵になった。役に立たないことなんてない。


英語の解説文によると

2011年3月に東北を襲った津波地震は、福島第一原発を崩壊させ、自然と社会と精神環境にも影響を与えた。わたしたちがこの地球に暮らし続けるためにも、この出来事から、どれだけの意味や教訓、思考をつくることができるのか、わたしたちは、その試みをシェアしたい。

3.11は、日本人だけでなく、福島だけでなく、この地球に生きるすべての人間に関係あること。問いは、この惑星のどこにいても犠牲者になれば孤立してしまうすべての出来事に、どういう関係性を見出すことができるのか。すべてが福島だというのではなく、酷い状況のなかで難民として生活を余儀なくされる環境があることは、わたしたちが、この出口のない状況に加担してしまっている。わたしちが日々のなかで実践しながら、再生の道をみつけることが、この問いのテーマでもある。

意訳になるけれど、日本人の教授や研究者たちが、英語で、こういう本を出していることに、驚いてしまう。日本国内には、こういう考えや研究が流通していない。発展と進歩を謳う社会の向こう側には「isolate=孤立」が待っている。この惑星の住人として、知るべきことを知らないまま日々を過ごしてしまうこと。これほど恐ろしいことはない。利益のために誰かを傷つけて搾取してしまう構造が世界に蔓延している。一杯のコーヒーですら、誰かの犠牲のうえに成り立つ。

何ひとつ計画的に進まなかった今日は、自分が抱えてきた想いの原点に漂着した。免許の更新も保健所もランチも、どうでもいいことだ。そんなことよりも、大切なことがある。大切なことは目に見えないし聞こえない。それは隠れている。光ばかりを見れば影を忘れてしまう。

ぼくが北茨城市に暮らしていて、原発から100km圏内にいるのは、遠くから眺めるだけでなく、この問題から目を逸らさないためでもある。そういう思いで、この地にきたことを思い出した。いまいる場所から何が見えるのか。何が聞こえるのか。何が言えるのか。そのすべてを表現に変えていく。renewal=再出発だ。一日の出来事を拾い集め、丁寧に観察してみれば、驚くほどのメッセージが織り込まれている。カットアンドペースト、コラージュがぼくの生きるための技術だ。