いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 83

アトリエには朝から来客があった。アトリエにしている古民家の元家主の有賀さんが、草刈りをしてくれた。もう自分のものではない土地なのに。そうしたら、キジが卵を抱えているのをみつけて教えに来てくれた。

キジは桃太郎に出てくる程、日本でポピュラーだし、有賀さんはそう遠くない昔、8年前までは、たまに食べたと話してくれた。それでも、よし!キジを獲ろう!と思わないから、まだまだ生活に余裕がある。そこまでのサバイバルはしてないようだ。

有賀さんと縁側で話しをしていると、近所のカズミ兄さんが「イノシシが檻にかかった」と知らせてくれた。行ってみると、1mものイノシシが檻に突進している。はじめて生きているイノシシを見た。檻の入り口を鼻で持ち上げている。檻から出ようと必死で、鼻から血を出している。

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そこに近所のスミちゃんが現れて「シゲ坊に連絡したからじき来るから、そっとしておけ」と言った。シゲ坊さんとは、猟師で害獣を駆除して農作物を守るヒーローだ。

集まった人々でイノシシの様子を見ながらシゲ坊さんを待ったけれど、現れなかった。檻が動かないように杭を挿してイノシシが出ないようにして、スミちゃんの家にお茶をしに行った。スミちゃんの家では、植木屋さんが木を刈っていた。植木屋さんは、スミちゃんの中学校の同級生で、この集落にお嫁に来る前から知っている。植木屋さんは、スミちゃんは、なんでもできると教えてくれた。いま建っている家の基礎はスミちゃんがやったそうだ。「むかしは、なんでもできることは自分たちでやったんだ」と教えてくれた。

 

アトリエに戻って、少し作業をしていると
「ダーーン」と銃声が集落に響いた。シゲ坊さんがイノシシを殺した。シゲ坊さんはウチに寄ってくれ、死んだイノシシを見せてくれた。放射能の影響がなければ食べれるのにと思う。もし食べれたら、ご馳走だから滅多に口に入れることはないだろうけど。スミちゃんは、イノシシ食べれたときは、売れるから食べれることなんて、あんまりなかったと話してくれたのを思い出した。

シゲ坊さんは友人から貰ったシカの角を持ってきて「何かに使え」と置いていってくれた。

3時ころ、チェンソーでキノコの椅子をつくるタイラさんが現れた。ちょうど間伐材でイベントをやる企画を練っていたので、打ち合わせすることができた。必要なときに必要な人が現れるのは、その方向に未来がある道しるべだと思っている。

夕方は、そのイベントに誘いたかった林業家の古川さんが家族と友人で来てくれた。古川さんは、先日河口で獲ったウナギを調理しに来てくれた。古川さんは手際よくウナギを捌く。頭にアイスピックを刺して動かないようにして、骨に沿って肉を剥ぐ。骨も焼けば美味しく食べられる。売ってるものは加工してあるから調理が簡単だけれど、採取した食材は調理に時間がかかる。手をかけただけ美味しいとも言える。自然から獲物を探し出して、捕獲して火で調理する、原始的な人間活動。ここにアートを感じる。生きるための技術。

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天然のウナギを炭で焼いて食べた。身が厚くてふっくらとして、格別に美味しかった。古川さんの子供たちと友達は、家の周りを探検してタケノコをみつけてきた。焼いて食べたら、ひとりの子供は不味いと言って吐き出して、ほかの子供は美味しいと食べていた。それぞれの味覚がある。

日が暮れると古川さんの友達家族は帰った。そこからさら古川家とのBBQが続いた。と言っても、焼くものは、美味しくないタケノコ。子供たちはキャンプだと喜んでいる。古川さんがシカの角を見て、ルアーをつくったらいいと教えてくれた。かつて日本人は、シカの角でルアーをつくっていたそうだ。

フジロックの BAR用につくった屋台が役に立って、雨が降っていてもBBQを楽しめた。こうやって北茨城での日々を観察してみると、実は目の前に「生きるための技術」が陳列されている。あとは、どのようにアート作品に転換するのか。加工/調理。毎日の小さな出来事のなかに、命や自然や生きるための工夫や、作品になるヒントや種が埋もれている。生活の芸術は、特別なことではなく、日々の暮らしのなかにこそアートがある、と実証する試み。そろそろ爆発させてみたい。